1957年09月01日

大空を追われ “斜陽”のバレリーナ 田園に舞うわずか30羽 コウノトリ【毎日新聞1957年9月1日】

<1957(昭和32)年9月1日朝刊社会面>


1957(昭和32)年9月1日朝刊社会面
 丘のいただきに近く、降るようなセミしぐれに包まれた茂みに身をひそめて、どのくらいの時がたったであろうか。山陰線八鹿駅(ようかえき)=兵庫県養父(やぶ)郡=から東北方へ六キロ、コウノトリを求めてたどった山道は、八鹿町伊佐(いざ)地区の赤松と雑木に覆われた丘陵地帯だった。

これも滅びゆく鳥
 コズエを渡って涼風が立ちはじめた。陽は山の端に迫っていよいよ赤く、ひとはけの雲を流した大空はあかね色に燃えていた。そのとき――束の間の色どりに映える空を斜めによぎって黒く大きな鳥影が過ぎた。コウノトリであった。羽ばたきを止めた翼は気流に乗ってみごとな滑空をみせ、丘の上をゆるゆると旋回した。しなやかな首筋の純白の羽毛が夕陽に染まり、薄紅色に輝いていた。やがて高度を下げたコウノトリは、風切羽を鳴らして山田の上に舞い降りた。そのすぐあとから、追いかけるようにもう一羽が飛んできた。地上のコウノトリは細首をさしのべ、空に向かって「グワッ、グワッ」と鳴いた。「危険ナシ、着陸ヨロシ」の信号だったのだろう。続く一羽は旋回なしに真一文字に降り立った。二羽は寄りそってエをあさった。

 東の空がルリ色に変わりそめたとき、コウノトリ夫妻は連れだって舞い上がり、ねぐらを指した。その巣は丘の背にひときわ抜きん出た松の巨木の頂上にあった。

 茂みにかくれて終日待ちぼうけたすえに、やっと見受けたコウノトリの姿であった。それもムリはなかった。滅びゆく鳥なのである。いまではコウノトリの唯一の繁殖地として知られる伊佐地区であるが、その数はわずかに三十羽を数えるにすぎない。

田植え歌に舞始め
 「ツル(コウノトリ)をみなさるんだったら、もうちょっと早ようきんさったらよかったに……」八鹿町役場伊佐地区出張所の加藤大一さん(四一)はこうなぐさめてくれた。六月末の田植えどきがよいのだという。ちょうど巣でヒナの育つ時期なのでコウノトリ夫妻は交代で巣を守り、人が近づいても逃げようとはしない。そのころは夜明けから終日田の中に降りて、好物のタニシやカエル、小魚をついばむのが日課である。起き抜けに田に出た村のお百姓が、隣りの田で草取りに余念のない姿をみて「早ようから精が出ますなあ」と声をかけたら、ひょいと首をもたげたのは隣人ならぬコウノトリ。「チョッ、またツルめがだましよった」と頭をかくというたぐいの笑い話がいくらもある。お百姓にとって、遠慮なく稲苗をふみ荒らすコウノトリは招かれざる客ではあるが、こんな笑い話のなかにこの土地の人たちとコウノトリとのおなじみがうかがわれるのである。

 土地の人がツルと呼ぶように、コウノトリは形も大きさもツルとよく似ている。しかしコウノトリはサギの血縁で、むしろウやペリカンに近い。ツルが湿地帯を好んで地上に巣を営むのと違い、高い木に巣をかける。昔から“松上のツル”といってめでたいものとされてきたのも実はツルではなくコウノトリだった。

二つの戦争の明暗
 明治維新のころまでは、コウノトリは日本の各地にいた。江戸では浅草寺や東本願寺、青山の新長谷寺など寺院の屋根の上にコウノトリが巣をかけたことが知られている。当時は江戸の十里四方が幕府の御鷹場として禁猟区にされていたせいでもあったろう。明治になってその制度がすたれ、乱獲が始まるとコウノトリも姿を消した。明治二十五年ようやく狩猟規則が定められ、四十一年コウノトリが保護鳥に指定されたときには兵庫県出石郡にわずかに余命を保つだけだった。仙石藩が天保年間(一八三〇年代)にコウノトリの営巣地を鶴山と名づけて禁猟のフレを出して以来の伝統が保たれていたからである。日清、日露の両戦争当時、ここのコウノトリが巣ごもりをはじめ“戦勝の瑞祥”ともてはやされたころには、鶴山はその見物人でにぎわい、名物ツルまんじゅうを売り出したり茶店が並ぶ騒ぎであった。コウノトリには平和な時代であった。

 太平洋戦争はコウノトリを再びみじめな目にあわせた。巣をかけた松の木は容赦なく切り倒され、田を荒らす食糧増産の敵だと追い払われた。コウノトリはそのまま滅亡したかと思われた。鶴山から山ひとつへだてた伊佐にようやく営巣が見いだされたのは、去る昭和二十五年のことである。

電柱の巣守る人々
 伊佐のコウノトリは毎年田植え歌を聞くころヒナの巣立ちをみる。コウノトリは日本では渡りをしない留鳥である。しかし巣立ったヒナは、いつとはなく伊佐の山から姿を消す。その行方はわからなかったが、ことしの三月のこと、福井県武生市に思いがけないコウノトリが舞い降りた。巣をかけたのは田の中の電柱だった。土地の人たちは珍客の到来を歓迎した。巣をこわさないでほしいという人々の願いが電電公社を動かし、この電柱を廃柱として別に架線を引くというはからいとなった。滅びゆく鳥「コウノトリ」に安住の地は少ない。人々のささやかな思いやりがコウノトリ一族に幸いすることを願いたい。
http://mainichi.jp/articles/20160713/org/00m/040/001000d

http://archive.is/lL8NM

posted by BNJ at 00:00 | Comment(0) | 野鳥ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする