2005年11月21日

コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/番外編 /兵庫【毎日新聞2005年11月21日】

聞けた宝のような言葉
 インタビューが終わりに近づいたころ、松島さんがとつとつと語った言葉が忘れられない。

 「人生の表の部分だけを出すとかっこいいけど、本当はもっと、そうじゃない部分の中にその人の人間性があるんですよ。ウソじゃないんだけど本当じゃなくなっちゃうの。真実なんだけどすべてが真実じゃない」

 放鳥本番を前に「コウノトリに半生をささげたヒーロー」への視線も熱を帯びた。だが、当の主人公はずっと戸惑っていたという。「注目されてるっていうか、意識されてるっていうのはずっと(感じていた)。だから私は、あえて寡黙になったところもあります」

 思い出したくない現実も爆発させたい喜びもあったに違いない。私は「寡黙の壁」に何度も挑んだが、時に厳しく、あるいはやんわりはね返された。

 それでも少しだけ「真実」に触れられた実感もあった。

 「もう本当にね、朝起きたら『わぁっ、生きてる!』って感動するんです。それで一日済んだ、『今日も頑張った』『明日もあるように』って」(第16回「ああ、今日も生きてる」)。

 飼育場で「カゴの鳥」になったコウノトリと寝起きをともにする過酷な日々。松島さんは豊岡で一番、やってくる朝の恵みを知っている1人に違いない、と思った。

 妻久美子さんと2人の子どもに話題が及ぶと、深く刻んだ目じりが潤んでいくのが見えた。プロとして生きたがゆえの松島さんの心苦しさや家族への思いが痛過ぎるほど伝わってきた。「老人だから」と照れる松島さんに聞こえないよう、私は鼻をすすった。

 30回ですべてが伝え切れたとは思っていない。それでも、根気強く取材に付き合って下さった松島さんの「真実を埋もれさせようとは思わない」との言葉が連載の支えだった。宝のような言葉を大切にしながら、私はまだ語られない「真実」が明らかになる日を待つつもりでいる。【武井澄人】
http://mainichi.jp/articles/20051121/org/00m/040/999000c

http://archive.is/SRcU1
コウノトリ空へ 2005初放鳥 「初孫」も大空へ 6羽、きょう訓練−−兵庫・豊岡【毎日新聞2005年11月19日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/28〜30 /兵庫【毎日新聞2005年11月16日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/25〜27 /兵庫【毎日新聞2005年11月11日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/22〜24 /兵庫【毎日新聞2005年11月6日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/19〜21 /兵庫【毎日新聞2005年11月3日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 記者の目:コウノトリ野生復帰計画が問うもの=武井澄人(豊岡支局)【毎日新聞2005年10月28日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/16〜18 /兵庫【毎日新聞2005年10月27日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 1カ月 恋も経済も絶好調 ペアリングも間近?−−兵庫・豊岡【毎日新聞2005年10月25日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 野生の雄 独身最後の大仕事? 40年ぶりの営巣−−兵庫・豊岡【毎日新聞2005年2月19日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 創造的に自然環境復元を 野生復帰フォーラム開催 三田/兵庫【毎日新聞2005年2月18日】

2005年11月19日

コウノトリ空へ 2005初放鳥 「初孫」も大空へ 6羽、きょう訓練−−兵庫・豊岡【毎日新聞2005年11月19日】

 兵庫県豊岡市の県立コウノトリの郷(さと)公園は19日から、今年生まれた幼鳥6羽の野生順化訓練を始める。うち4羽は、71年に福井県で保護され今年6月に死んだ雌・武生の「初孫」。順調なら07年度にも自然界に放鳥される予定で、「祖母」らが果たせなかった「再び大空へ」の夢がかなうことになる。

 野生復帰のための順化訓練は、高い屋根のケージでの飛行や生きた餌の捕獲など自然環境で生き残る能力アップを目的に、03年にスタート。うち身体能力の高い計5羽が今年9月24日、試験放鳥され、現在も同市内にとどまっている。郷公園では現在、それに続く計12羽が訓練中で、来年度以降に放鳥の順番を待っており、今回の訓練は第3弾になる。

 4羽は、94年に唯一生まれた武生の娘・紫が母親で、今年4〜5月にふ化し、一時は親子三代がそろい関係者を喜ばせた。武生は、国内で野生コウノトリが絶滅する直前に保護されたが、日本産ではなく大陸からの迷い鳥とされる。しかし孫の4羽は、国内で保護されて唯一子孫を残した武生の血統を受け継いで遺伝的に貴重という。

 同公園の大迫義人・主任研究員は「コウノトリの保護増殖の歴史を作った武生の孫たちが自然界で命をつなぎ、豊岡から福井に“里帰り”できる日が来れば、人間とコウノトリとの共生もさらに深まるはず」と期待を寄せた。【武井澄人】
http://mainichi.jp/articles/20051119/org/00m/040/999000c

http://archive.is/7Lb85
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/28〜30 /兵庫【毎日新聞2005年11月16日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/25〜27 /兵庫【毎日新聞2005年11月11日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/22〜24 /兵庫【毎日新聞2005年11月6日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/19〜21 /兵庫【毎日新聞2005年11月3日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 記者の目:コウノトリ野生復帰計画が問うもの=武井澄人(豊岡支局)【毎日新聞2005年10月28日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/16〜18 /兵庫【毎日新聞2005年10月27日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 1カ月 恋も経済も絶好調 ペアリングも間近?−−兵庫・豊岡【毎日新聞2005年10月25日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 野生の雄 独身最後の大仕事? 40年ぶりの営巣−−兵庫・豊岡【毎日新聞2005年2月19日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 創造的に自然環境復元を 野生復帰フォーラム開催 三田/兵庫【毎日新聞2005年2月18日】

2005年11月16日

コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/28〜30 /兵庫【毎日新聞2005年11月16日】

行動はどんどん広がる
 −−郷公園から1キロの半径で、放鳥された5羽が動いてるというのは心配のない状況?

 と、思いますよ。だんだん広がっていく。八五郎さんだって来た時なんか、郷公園の中だけしかいなかったじゃないですか。ということは、公園の中で生活できたんですよ。出てみたら、外にもいいとこあるよ、という形の中でどんどん広がっていく。これはやっぱり、一つの学習ですよ。

 今までは苦労して苦労して探したんだけど、何かそこに行くと、誰かが見てる、誰かついてきたなあっていう、嫌な思いをしながら、何年かかけて宮崎から来たでしょ。そういうものをきちっと身をもって知ってるから、ここっていうのはそういうものから逃れられるいい場所だし、仲間もいるし、とりあえずもう、どういうんか、先天的に安心できる場所というものを感じたんじゃないですかね。

 今度の鳥はそうじゃなくて、ここで生まれてここで育ちましたから。だから、こういう環境ってのが彼らにとっては普通の環境なんです。

 −−5羽は学習の過程にあるということ?

 でしょうねえ。まあ、人間でもそうでしょうけれど。つまずいて初めてわかる部分と、それから本能的に「危ないな」と思うものに対する警戒心っていうのは持ってるはず。郷公園には餌が常にあって、安心できるねぐらがあって、だけど、出かけていってみると、実はそうじゃない部分があった。今まで網越しにカラスやトンビが来てたのが、じかに近づいてくるとかね。

 −−実際に今、飛んでみながら学んでるところなんですね。

 そうですね。だから、すぐにばーっと拡散していくなんていうふうに考えないほうがいいかもしれない。

捨てたもんじゃない日本
 −−たくさんの人々が放鳥コウノトリに会いに来ます。

 せっかく今まで豊岡市が温めてきたわけじゃないですか、コウノトリを。ずっとこう囲って。それをたくさんの人が関心をもって、わざわざ見にきてくれるっていうのは、これは他にないですよ。コウノトリそのものがすごい力を持ってると思いますよ。

 それと、報道というすごいメディアの力でもって隅々まで知らしめてくれるわけじゃない。それで「ちょっといっぺん行ってみようじゃないか」「行かんと乗り遅れるよ」っていうぐらいなものをやっぱり感じさせるし。鳥そのものがやっぱり、あんただってそうじゃないですか、鳥見たらやっぱりひきつけられて、気になって(郷公園に)来ちゃうじゃないですか。

 −−来ちゃいましたね、今日も(笑)。

 そういうもんなんですよ。分かるでしょ? 気を引くというか、何となく気にさせる状況を持ってるっていう、これがまたいいんですよ。だから、これだけの人を動かしたら、ここにやっぱり、何か活性化を感じるじゃないですか。

 −−にぎやかになったのを感じますね。

 やっぱり、日本だってまだ捨てたもんじゃないなあって。これだけ人が動くよってね。白けてしまったら寂しいじゃないですか。やっぱりこういう、自然の生き物に対する慈しみみたいなものをまだ、日本人の心の中に持ってるんですよ。毎日生活苦しいですよ。苦しいですけど、そういうものを超越して、やっぱりここに来てみようかとね。

 −−試験放鳥を通じて豊岡が挑戦しようとしているのは、今の小泉改革と逆の方向性を持つように思えますが?

 逆とはいえませんけどね。いろんな手法があるんでしょうけど、ここはここで、これも一つのね、やっぱり、私たちがこれから生きていく先に何かを見いだせる一つの場所としてね、これから先、人が集まってくれれば、そりゃあいいんじゃないですか? 豊岡市だってこんだけのもん作って、兵庫県だってこれだけのものあれして、ねえ。

鳥と付き合う心遣いを
 −−放鳥後のコウノトリと私たちはどんな付き合いをしたらいいんでしょうか?

 そりゃあやっぱり、心遣いはほしいですよ。そうじゃないですか、あんたのうちも誰か隣の人が見とったら、毎日双眼鏡で見てる人がいたりしたら、たまらんじゃないですか(笑)。

 −−たまらんでしょうね。

 人間同士だったら、おそらく訴訟問題だ(笑)。

 −−相手が鳥とはいえ、ちょっとした心遣いはほしいと。

 そうそうそう、心遣いがほしい。まあ、ここまでだったら、彼らも多少なりとも飛んでいく余裕があったり、こちらとの距離を測る余裕があったりという、その距離感だとかね。四六時中24時間張り付いてやらないで、おしっこする時間ぐらいでもちょっと横向いとったろうかって、あるじゃないですか。相手がモノと思ったらいかんって。相手も生きものなんだし、私らもそうだ。だったら、「自分らが嫌なことはするな」とね。

 −−その辺りが松島さんからの一番のメッセージかもしれません。

 この瞬間っていうのを私の記憶の中に残しておきたいので写真1枚ちょうだいよ、許してねっていう気持ちがあって、初めてそこでお互いの暗黙の了解ができる。写す時のマナーっていうのは、当然あるべき。だから、野生動物を撮る時には、そんなにせかせかしないで、ゆったりと座って、後ろに石を背負ったり木を背負ったりして、自分も石になったり木になったりして、そこの風景の中に取り込まれた中でゆっくり観察をして、写真を撮るの。写真を撮ってる者がその風景の一つになってしまえばいいわけなんです。

 −−郷公園という場所はそれができるところですね。

 うん。そうです。だから、どんどんどんどんとこの状態が、(放鳥コウノトリが郷公園を離れて)外に出て行った時に、おんなじ状態がずーっと拡散していった時には、よくない。八五郎にわーっと群がったみたいに。行く先々でそういう状態が続いちゃうとね。緩やかにそういうふうにいった時はわりといいんですけどね。ずーっとこの、過激にその状態が続いていくっていうのは、やっぱり、つらいですよ。=おわり
http://mainichi.jp/articles/20051116/org/00m/040/999000c

http://archive.is/lCwms
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/25〜27 /兵庫【毎日新聞2005年11月11日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/22〜24 /兵庫【毎日新聞2005年11月6日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/19〜21 /兵庫【毎日新聞2005年11月3日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 記者の目:コウノトリ野生復帰計画が問うもの=武井澄人(豊岡支局)【毎日新聞2005年10月28日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/16〜18 /兵庫【毎日新聞2005年10月27日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 1カ月 恋も経済も絶好調 ペアリングも間近?−−兵庫・豊岡【毎日新聞2005年10月25日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 野生の雄 独身最後の大仕事? 40年ぶりの営巣−−兵庫・豊岡【毎日新聞2005年2月19日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 創造的に自然環境復元を 野生復帰フォーラム開催 三田/兵庫【毎日新聞2005年2月18日】

2005年11月11日

コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/25〜27 /兵庫【毎日新聞2005年11月11日】

「ただの鳥」にならなきゃ
 −−「飼育の仕事に夢がある」とは具体的にどういう意味ですか?

 生き物と共にしながら生活できる心の安らぎみたいなものってのは、他の仕事にはない部分。単なるモノづくりじゃない楽しさ。今は理解がやっぱり違うなあ。郷公園もできたし、地球規模的に自分の身の回りに関心を持たざるを得ないし、生き物に関心を持つ心の余裕みたいなものが一般的にできてる。バードウオッチングみたいな優雅な趣味がね。昔は鳥見たら銃で落として食べようとか、カモがネギ背負ってきたとか、そういうのが日本人の一般的な自然観だったといわれてた。

 ところが今、都会にしても野生の生き物、特に鳥ですね。非常に身近に見られるようになった。人の顔見て逃げなかったのは公園のハトくらいなことで、たいていの鳥は逃げました。今はごく近くまで来ても逃げない。それはやっぱり、人の心が変わってきて、そういうものに対する見方、思いみたいなものが違ってきてる。社会情勢の変化がある。そういう時ですから、こういう仕事へも多少の理解がね。次のまた次にもつないでくれるという希望がある。

 −−定年後の今はコウノトリが「趣味」になりましたか?

 私はもう、どっぷりつかっちゃいましたから、これはこれとして一つ、終わりにしたい。

 −−「終わり」とはどういう意味ですか?

 いろんな考え方があるでしょうけど、私はもうちょっと少し離れて、鳥そのものとは少し間を置いた形の中でおりたい。みんなそうなってほしいっていう気がありますから。珍しかったり、特別なものだったりする間は、コウノトリが、そこにすむ生き物の中で「市民権」を得てない。スターだったり特別視されてる以上はダメ。「ただの人」にならなきゃいけない。私は「ただの人」と付き合ってた少年時代に帰れるような関係がコウノトリとの間に出来るといいなあ、という気がしてるんですよ。

 買い物いって帰りにちょっと遠回りして、農道走ってたらコウノトリがいてね、っていうようなね。わざわざカメラ持っていって記録したとか、カッコいい写真とって年賀状つくったとかいうことも、時としてはあるかもしれませんけど、出合った時に「おっいたか」「いるね」くらいの関係になれるといいね、と。でもまあ、時間がないんですよ、もう(笑)。

二度と帰ってくるなよ
 −−試験放鳥が始まって1カ月以上がたちました。今後もうまくいくんでしょうか?

 そこです。そこはやっぱりもう、決めてかからないことです。

 「ダメだったら帰って来いよ、いつでも見てやるよ」って言い方する人もいれば、「不安でどうなんだろうな」って人もいるけど、それはそれですよ。だけど、いったん放す以上「ダメだったら帰って来いよ」とは、私なら言わない。

 嫁に出す子にわざわざそんなこと言いますか? 巣立っていく者はお前の力で頑張っていけ、もう後は私らの世界じゃないよ、君らの世界だよ、と。だから、それがどのような形になろうとも、見届けてやることはしても、ある時はやっぱり手助けをする必要があるかもしれませんけど、最初から帰って来てもいいということは、私は言いたくない。帰ってくるなよ、二度と帰ってくるなよ、あなたが後の人たち、仲間たちの将来を決めるよ、と言ってやりたい気がします。最初に出たやつがしくじったら、後から出るのはより複雑になっちゃう(笑)。

 −−「決めてかからない」とは?

 相手は自分じゃないから、何をやるかわからない。こちらが憶測したってどうしょうもない。

 −−鳥次第ということですか?

 私たちには計り知れない部分を持ってますし、生き物の力をやっぱり信じたいと思いますし。いつまで待ってもこれで万全だよって、まったく心配しなくてもいいよってことにはならないですから。わが子だってならないんですもん(笑)。だけどこちらが手を染めた以上、責任はやっぱり取りましょう、ある程度の範囲でね。困ってる者を見捨てるということは出来ないだろう、と。

 −−潔い態度が必要なんですね。

 誰かに迷惑かけたときには鳥に代わって、JRじゃないですけど「ごめんなさい」と言う気持ちは持たないといけないと思います。長い年月、空白を作ってしまいましたから。ここに住んでる人たちの気持ちの中に違うものが芽生えておるでしょうし、あるはずですから。新規参入に近い状態だって言われても間違いのない部分だってあるわけですから。今までかかわってきた者がきっちりと責任を、というか精神的な責任っていうのはもって。

鳥も本能で生きてる
 −−放鳥後の5羽は郷公園を中心に生活しています。その様子をどう見ますか?

 いいんじゃないですか。

 −−鳥らしく生活している?

 と、思いますよ。スズメやハトみたいにピーチクパーチク、その辺をうろうろする鳥じゃないんですよ、元々。こういうもんなんですよ。

 −−1カ所にじっとしてる?

 必要なければね。必要がなければじっとしてりゃいいんですよ。そしてやっぱりね、鳥が動く時間っていうのが、だいたい分かったでしょ?

 −−朝ですね。

 朝ね。鳥は朝起きなんですよ。私はずっと前から、生活してきたっていうより、鳥を捕獲するために追跡したりなんかする時に、ずっとそういう鳥の状況ってのを見てきました。やっぱり夜が明けてこう、もやがぼーっと立ってくるような瞬間、いよいよ行動を起こすかなあと思ってると、すーっすーっすーっと飛び立ってくる。昼間はわりとゆったりしておって、夕方少し餌を探して、それからねぐら入りと。それがその日の天候によって、多分に大きく左右されるっていうか、天候っていうか、雨風雪が影響を与える。そういうものに左右されてる。

 −−一番左右されやすいのは?

 やっぱり野生に近いほどね、私たちよりかも、より次の気象情報を予知する能力があるんじゃないかな、と思われるようなそぶりというか、感じを与える行動をとることがあります。例えば、かなり熱心に餌ばみを遅くまでしているとかね、早めに餌ばみをし出すとか。雨が近いのかなあ、もうそういう時が来たのかな、というようなものを感じる。捕獲して網の中に入れた直後でも、まだそういうものをかなり持ってるんですが、だんだんと餌をもらうようになってくると、やっぱり惰性におぼれてやらなくなりますね。

 −−惰性におぼれるんですか?

 いや、学習ですよ。寒冷前線かなんかが近づいてきたり、そういうのが分かるんじゃないかなあと思われるようなふしが、分かってるかどうか知りませんよ。私は学者じゃないから。でも、生き物っていうのは科学的根拠に基づいて生きてるわけじゃないんです。本能によって生きてるんですよ。と、自分の勝手によって(笑)。=つづく
http://mainichi.jp/articles/20051111/org/00m/040/999000c

http://archive.is/bVQbR
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/22〜24 /兵庫【毎日新聞2005年11月6日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/19〜21 /兵庫【毎日新聞2005年11月3日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 記者の目:コウノトリ野生復帰計画が問うもの=武井澄人(豊岡支局)【毎日新聞2005年10月28日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/16〜18 /兵庫【毎日新聞2005年10月27日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 1カ月 恋も経済も絶好調 ペアリングも間近?−−兵庫・豊岡【毎日新聞2005年10月25日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 野生の雄 独身最後の大仕事? 40年ぶりの営巣−−兵庫・豊岡【毎日新聞2005年2月19日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 創造的に自然環境復元を 野生復帰フォーラム開催 三田/兵庫【毎日新聞2005年2月18日】

2005年11月07日

コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/22〜24 /兵庫【毎日新聞2005年11月6日】

家族にはすまないなあ
 −−「自分が先にあきらめてはいけない」、ということですか?

 格好をつけるわけじゃないけど、今があったんだから明日もある。明日もあったんだから次もあるし、来年もあったんだから次の年もある、というふうに繰り返しが、図らずも24年。その間、ずーっと頑張ってるやつがいたんですよ、たしかに。

 あのう、(旧出石町)伊豆で私が捕獲した鳥はちょうど、ソ連から来た鳥と交代で死んでいきましたけど、あの鳥がまずいたこと(注・67年1月につがいで捕獲された雌。雄は同年5月に死んだが、雌は86年2月に長寿を全うした)。それから武生で捕獲されたもの、鹿児島で捕獲されたもの、もうそれぞれに思いのかかったのがいたし。ずうっと節目節目、ずうっと続いとったじゃないですか。これがあったから結局、本当は長い年月なんだけど、私にとってはもうその時々、もうそんな先のことを言ってられない雰囲気の中でその時々を精いっぱいいくしかないな、と。

 −−私には絶対できません。ひたすら悲しい思い、つらい思いを続けるなんて。

 しましたよ。あのね、本当に、しました。ただ私、一番ね、やっぱりすまないと思うのは、家族がね、やっぱり、人並みにいけたかなあ。でもまあ、とりあえず、……平穏無事じゃないけど、今がありますからね。家族4人、まあ1人孫が出来ましたから、で、孫の親もいて6人か。まあとりあえず、世間で後ろ指さされないように生活していますから。まあ救いは救いですけど。まあ、何をしてやったかなあ、と思う時に、やっぱりすまないなあという気はやっぱ、あります。

 −−特に妻久美子さんに対して、ですか?

 うーん、まあね。

命を預かったんだよ
 −−松島さんはなぜコウノトリが好きですか?

 嫌いですか、あんた。

 −−私は好きです。

 それでいい。

 −−でも、松島さんほどではない。

 いやいやいや、だからいいんじゃないですか。みんな、みんな好きなんです。そういうものを持ってる鳥なんですよ。人を魅惑的にひきつけるというか。あの立ち居振る舞い、コウノトリという名前もいいし、容姿端麗で雰囲気もいいし。

 で、私らは昔、コウノトリと敵対した歴史をたまたま持ってないんですよ、農民でもね。だからそういう面では親近感を持っても違和感はない。子どもの時から普通にその辺にいて、ただの鳥の中でも、やっぱりところどころに思い出すということになってくる。

 −−私は空を滑るグライダーのように飛ぶ「八五郎」が衝撃でした。

 いいでしょ? まあだけど、たまたま私の場合は捕獲に駆り出されて、ずっと餌付けをしたり観察してる中で付き合いがどんどん長くなってきて、揚げ句の果てに飼育することになったから、もう離れられない存在になってしまったということが一番大きいですね。

 −−離れられなくなった時点で好きに?

 いやいや、嫌いだったらしないって。好きって言ったって、今言われるように、それによって癒やされるとかいう関係じゃなかったんですよ。

 −−では、どんな関係でしたか? 友達みたいな関係?

 私があなた方の命を預かっちゃったんだよ、っていうものが根底にあるでしょ? それでも嫌だったら毎日の付き合いの中で何か出てくるんじゃないですか。だから嫌じゃなかったっていうことだけは確かなんです。やっぱり、心配させたりドキドキさせたりっていうのも魅力の一つじゃないですか、反対にね。

 −−絶望的な状況が続く中で「報われた、ご褒美をもらった」という瞬間があったのでは?

 うん。まあ時々にね。あったかもしれませんね。特筆してそっと教えるようなことはないかもしれません。

 −−特筆でなくてもいい。

 いやだから、あなた方に教えるとそれが固定的私の概念になっちゃうから、教えられないような秘密があるんですよ。

夢がある仕事になった
 −−郷公園での飼育羽数が100羽を超える目前の02年春、松島さんは定年退職。ずっと鳥と一緒の生活だったのに鳥に直接かかわれない立場になりました。

 それはそれでまた、別の意味でやっぱり、いいなあと思ってます。もう後をしっかりやってくれる人たちが今、おりますから。しっかりやってくれてますから。

 ただ、彼らは私がたどった道じゃない形で、今にかかわってきてますからね。いったん私のやってきたものを渡した以上は、その人が今度は自分の力で、自分の責任の持てる形の中でそれを継続させ、維持していってくれないとダメだから。私はもう一切合財、口出したり手を出したりしたくはないな、と思ってます。とりあえず私は、しっかりと確信を持って、もう私の時代を終えたい、と。私は私で、その後の結果、これから先どうなっていくか、どういうふうに彼らが進めてくれるかは、ある程度の関心をもってはみてますよ。

 −−方法論の違いはあるでしょうが、佐藤稔さんや吉沢拓祥さんら現役飼育員に、松島さんがやってきた思いや願いがバトンとして渡った、ということですね。

 今まではそういう人たちってのが手を挙げてくれなかった。今ならやっぱり時代が変わってきましたから、こういう仕事ってのに対する理解が多分に変わってきたと思いますよ。

 −−「時代が変わった」とはどういう意味ですか?

 私がやった昭和40年代、鳥を、ニワトリならともかく、野鳥を動物園以外で飼育して増やすという取り組みに対する考え方っていうのはなかったから、「何なんだいや」という気分があったと思うんですよ。動物園ならね、そこで飼って、見せて、きちっと人にこういうもんだよってものを返せますけど、(コウノトリは)全然見せないし、増えないし(笑)。

 「私やったろか」という人がね、昔なら1人、2人だったでしょうけど、今ならね、やっぱりこういう仕事っていうのは、ある程度夢があるし、やってみたいなって、多少変わってきたんじゃないかっていう気がしてるんですよ。=つづく
http://mainichi.jp/articles/20051106/org/00m/040/999000c

http://archive.is/2e91g
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/19〜21 /兵庫【毎日新聞2005年11月3日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 記者の目:コウノトリ野生復帰計画が問うもの=武井澄人(豊岡支局)【毎日新聞2005年10月28日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/16〜18 /兵庫【毎日新聞2005年10月27日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 1カ月 恋も経済も絶好調 ペアリングも間近?−−兵庫・豊岡【毎日新聞2005年10月25日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 野生の雄 独身最後の大仕事? 40年ぶりの営巣−−兵庫・豊岡【毎日新聞2005年2月19日】
コウノトリ空へ 2005初放鳥 創造的に自然環境復元を 野生復帰フォーラム開催 三田/兵庫【毎日新聞2005年2月18日】