2005年11月07日

コウノトリ空へ 2005初放鳥 元飼育長・松島興治郎さんに聞く/22〜24 /兵庫【毎日新聞2005年11月6日】

家族にはすまないなあ
 −−「自分が先にあきらめてはいけない」、ということですか?

 格好をつけるわけじゃないけど、今があったんだから明日もある。明日もあったんだから次もあるし、来年もあったんだから次の年もある、というふうに繰り返しが、図らずも24年。その間、ずーっと頑張ってるやつがいたんですよ、たしかに。

 あのう、(旧出石町)伊豆で私が捕獲した鳥はちょうど、ソ連から来た鳥と交代で死んでいきましたけど、あの鳥がまずいたこと(注・67年1月につがいで捕獲された雌。雄は同年5月に死んだが、雌は86年2月に長寿を全うした)。それから武生で捕獲されたもの、鹿児島で捕獲されたもの、もうそれぞれに思いのかかったのがいたし。ずうっと節目節目、ずうっと続いとったじゃないですか。これがあったから結局、本当は長い年月なんだけど、私にとってはもうその時々、もうそんな先のことを言ってられない雰囲気の中でその時々を精いっぱいいくしかないな、と。

 −−私には絶対できません。ひたすら悲しい思い、つらい思いを続けるなんて。

 しましたよ。あのね、本当に、しました。ただ私、一番ね、やっぱりすまないと思うのは、家族がね、やっぱり、人並みにいけたかなあ。でもまあ、とりあえず、……平穏無事じゃないけど、今がありますからね。家族4人、まあ1人孫が出来ましたから、で、孫の親もいて6人か。まあとりあえず、世間で後ろ指さされないように生活していますから。まあ救いは救いですけど。まあ、何をしてやったかなあ、と思う時に、やっぱりすまないなあという気はやっぱ、あります。

 −−特に妻久美子さんに対して、ですか?

 うーん、まあね。

命を預かったんだよ
 −−松島さんはなぜコウノトリが好きですか?

 嫌いですか、あんた。

 −−私は好きです。

 それでいい。

 −−でも、松島さんほどではない。

 いやいやいや、だからいいんじゃないですか。みんな、みんな好きなんです。そういうものを持ってる鳥なんですよ。人を魅惑的にひきつけるというか。あの立ち居振る舞い、コウノトリという名前もいいし、容姿端麗で雰囲気もいいし。

 で、私らは昔、コウノトリと敵対した歴史をたまたま持ってないんですよ、農民でもね。だからそういう面では親近感を持っても違和感はない。子どもの時から普通にその辺にいて、ただの鳥の中でも、やっぱりところどころに思い出すということになってくる。

 −−私は空を滑るグライダーのように飛ぶ「八五郎」が衝撃でした。

 いいでしょ? まあだけど、たまたま私の場合は捕獲に駆り出されて、ずっと餌付けをしたり観察してる中で付き合いがどんどん長くなってきて、揚げ句の果てに飼育することになったから、もう離れられない存在になってしまったということが一番大きいですね。

 −−離れられなくなった時点で好きに?

 いやいや、嫌いだったらしないって。好きって言ったって、今言われるように、それによって癒やされるとかいう関係じゃなかったんですよ。

 −−では、どんな関係でしたか? 友達みたいな関係?

 私があなた方の命を預かっちゃったんだよ、っていうものが根底にあるでしょ? それでも嫌だったら毎日の付き合いの中で何か出てくるんじゃないですか。だから嫌じゃなかったっていうことだけは確かなんです。やっぱり、心配させたりドキドキさせたりっていうのも魅力の一つじゃないですか、反対にね。

 −−絶望的な状況が続く中で「報われた、ご褒美をもらった」という瞬間があったのでは?

 うん。まあ時々にね。あったかもしれませんね。特筆してそっと教えるようなことはないかもしれません。

 −−特筆でなくてもいい。

 いやだから、あなた方に教えるとそれが固定的私の概念になっちゃうから、教えられないような秘密があるんですよ。

夢がある仕事になった
 −−郷公園での飼育羽数が100羽を超える目前の02年春、松島さんは定年退職。ずっと鳥と一緒の生活だったのに鳥に直接かかわれない立場になりました。

 それはそれでまた、別の意味でやっぱり、いいなあと思ってます。もう後をしっかりやってくれる人たちが今、おりますから。しっかりやってくれてますから。

 ただ、彼らは私がたどった道じゃない形で、今にかかわってきてますからね。いったん私のやってきたものを渡した以上は、その人が今度は自分の力で、自分の責任の持てる形の中でそれを継続させ、維持していってくれないとダメだから。私はもう一切合財、口出したり手を出したりしたくはないな、と思ってます。とりあえず私は、しっかりと確信を持って、もう私の時代を終えたい、と。私は私で、その後の結果、これから先どうなっていくか、どういうふうに彼らが進めてくれるかは、ある程度の関心をもってはみてますよ。

 −−方法論の違いはあるでしょうが、佐藤稔さんや吉沢拓祥さんら現役飼育員に、松島さんがやってきた思いや願いがバトンとして渡った、ということですね。

 今まではそういう人たちってのが手を挙げてくれなかった。今ならやっぱり時代が変わってきましたから、こういう仕事ってのに対する理解が多分に変わってきたと思いますよ。

 −−「時代が変わった」とはどういう意味ですか?

 私がやった昭和40年代、鳥を、ニワトリならともかく、野鳥を動物園以外で飼育して増やすという取り組みに対する考え方っていうのはなかったから、「何なんだいや」という気分があったと思うんですよ。動物園ならね、そこで飼って、見せて、きちっと人にこういうもんだよってものを返せますけど、(コウノトリは)全然見せないし、増えないし(笑)。

 「私やったろか」という人がね、昔なら1人、2人だったでしょうけど、今ならね、やっぱりこういう仕事っていうのは、ある程度夢があるし、やってみたいなって、多少変わってきたんじゃないかっていう気がしてるんですよ。=つづく
http://mainichi.jp/articles/20051106/org/00m/040/999000c

http://archive.is/2e91g
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