2008年01月01日

朱鷺色の空に 2008初放鳥 佐渡舞う姿夢に 野生復帰へ期待 /新潟【毎日新聞2008年1月1日】

 国内で野生種が絶滅した国際保護鳥、トキ(コウノトリ目トキ科)を人工繁殖し、再び野生復帰させるプロジェクトが今年、大きな節目を迎える。事業の核となる「試験放鳥」が今年秋、佐渡市の佐渡トキ保護センターで初めて実施。一度絶滅した動物を自然界に戻す「再導入」の実現例は、国内では05年に兵庫県豊岡市で実現したコウノトリだけだ。佐渡の野に帰ったトキは果たして、無事に捕食、営巣し、子孫を残していけるのか。豊岡市の事例などを参考に、1981年以来27年ぶりにトキが佐渡の空に舞う様子をシミュレーションする。【五十嵐和大、磯野保】

試験放鳥シミュレーション (1)飛び立つ
 08年△月×日、佐渡市新穂正明寺の野生復帰ステーション近くの水田地帯で、国内初めてのトキ放鳥式典が行われ、人工飼育したトキが初めて自然界に放たれた。

 佐渡トキ保護センターの職員が、放鳥するトキを1羽ずつ箱に入れ、野生復帰ステーションから移動。紅白のテープにはさみを入れ、扉が開くと、警戒心からか、トキは辺りをキョロキョロしたり、尻込みしたり。やがて、1・5メートル近い両翼を広げて大空へ−−。

(2)群れ形成
 放鳥されたトキは秋から冬にかけて、佐渡トキ保護センターや野生復帰ステーション周辺の小佐渡丘陵(佐渡島南東部)の東側を中心に、群れを形成して生息するとみられる。

 周囲には、放鳥に備えて休耕田に水をため、餌となるドジョウなどの水生生物を入れたビオトープ(生物生息空間)が整備される。

 こうした人工の餌場に舞い降りては、ドジョウをつつくトキの姿を見ることができるのかもしれない。

(3)巣作りへ
 春先になると、繁殖に備えて巣作りに取り掛かる。山間部のコナラやアカマツなど高木の枝に、主に雄が木の枝や落ち葉などを集めて、直径60センチほどの巣を準備する。

 2月下旬ごろからは、群れから離れた雄と雌がつがいを作り、互いに羽づくろいをしたり、雄が雌の背中に乗る擬交尾が行われるようになる。

 6月ごろまでの繁殖期には、餌場のある人里と巣を往復する暮らしを続けながら、産卵をする。

(4)繁殖へ
 トキは、重さ約80グラムの卵を1度に3〜4個産み、ふ化するまでの約1カ月間、雄と雌が交互に抱卵する。

 営巣地にはトビやオオタカ、ウサギ駆除のため放されたテンなど、卵やヒナを食べる天敵が多く、成鳥は我が子を守るため、緊張を強いられる。

 生まれたばかりのヒナは体重約60グラム。全身が灰色の毛で覆われる。成長は早く、1カ月ほどで飛べるようになり、3カ月で成鳥と変わらぬ羽毛に生え変わる。

(5)巣立ち迎え
 親鳥の元で成長した幼鳥は、早ければ6月ごろ巣立ちを迎える。そこからが問題だ。

 放鳥後、自然の営みの中で生まれたトキと、自然復帰ステーションから野に放されたばかりのトキが共に群れを作れるのか。また、人工の餌場に近づいて捕食するのか。詳しい生態は放鳥後の目視観測(モニタリング)の結果を待たなければ分からない。

 2015年までに60羽を小佐渡東部に定着させる目標に向け、今後も関係者の試行錯誤が続く。

コウノトリの実現例参考に−−注目の兵庫県豊岡市
 兵庫県豊岡市で05年9月24日、人工飼育のコウノトリ5羽が初めて試験放鳥された。昨年9月までに3回の放鳥が行われ、現在は市内を中心に20羽ほどが生息するまでになった。人間のすぐそばで、コウノトリが空を舞う光景を目の当たりにできるという。

 コウノトリは、水田での農薬使用など複合要因で個体数が激減。同県は65年以来、ロシアなどのコウノトリを元に40年かけて人工飼育を進めてきた。現在、個体数は100羽以上を数える。

 放鳥は軌道に乗りつつあり、飼育・研究拠点の「県立コウノトリの郷(さと)公園」は観光地としても注目を集める。冬期間でも水田に水をため、餌場を確保する取り組みを続けており、トキ放鳥にも参考になりそうだ。

こんな美しい鳥は、後世に残してやらなきゃならん−−佐渡とき保護会顧問・佐藤春雄さん語る
 終戦直後から60年以上、トキの観察と研究を続けてきた、佐渡とき保護会顧問の佐藤春雄さん(88)=佐渡市加茂歌代=は、試験放鳥に大きな期待を寄せる。餌付け、全鳥捕獲、度重なる人工繁殖失敗、国産種の絶滅、中国種の導入による繁殖成功−−。めまぐるしく変遷したトキ保護の歴史を、佐藤さんに語ってもらった。

 <1919年、佐渡・加茂湖に近い旧加茂村に生まれる。第二次世界大戦に従軍し、復員直後の46年3月、地元の青年学校教師の職を得て、小佐渡の山道、片道9キロを毎日自転車に乗って通った>

 子供のころ、道のつじに標柱が立っていたのを覚えている。「朱鷺保護せらるべし 農林省」。トキとは読めず、「シュサギ」と思っていた。子供のころから鳥は好きだったが、当時は図鑑もなく、トキについてはその程度の認識だった。

 27歳のころ、旧河崎村の小高い丘から空を見上げると、夕日を浴びて羽の内側がピンク色の美しい大きな鳥が飛ぶのを見た。「こんな美しい鳥は、後世に残してやらなきゃならん」と思ったことを覚えている。

 <以来、美しい朱鷺色に魅了された。カメラと望遠レンズを携え、トキの姿を追い求めた。山で炭焼きを生業(なりわい)とする人々に「トキを大切にして」と頼んで歩いた。トキの生態を知りたくて、田んぼに落ちたふんを拾って回った。いつしか付いたあだ名は「トキの先生」>

 月日が流れ、トキのねぐらに適した山林は減り、生息数も増えない。佐渡はトキがすめない環境になりつつあった。「自然の中で保護してくれ」と声高に叫んだが、環境庁(当時)は、野生5羽の全鳥捕獲と人工ふ化を選んだ。

 81年1月11日、旧両津市の水田で、ロケット式捕獲ネットにトキを収める瞬間に出くわした。「トキの群れ 別れを惜しむか 二度三度」という句を詠んだのを覚えている。

 捕獲した5羽は結局、95年までにすべて死んだ。最後に残った雄「ミドリ」が90年、ペアリングのため中国に渡った際にも、両津港から見送った。佐渡トキ保護センターで35年にわたり飼育された「キン」も03年に死に、日本産のトキは絶滅した。「一百姓の言うことなど聞いてもらえなかった」という寂しさが募った。

 <全鳥捕獲と時を同じくした81年、中国で7羽の野生トキが発見された。繁殖も順調に進み、自著でも「日本のトキには手をつけず、中国トキの調査に協力を」と訴えた。91年には、既に人工繁殖に成功していた中国・陝西省の飼育専門家が佐藤さんを訪ね、長年の経験に学んだ。トキが橋渡しをして、日中間に友好関係が生まれた>

 当初は「中国のトキを佐渡の空に飛ばすことは、いかがなものか」という疑問があった。だが、日本でも中国でもいい、どこで飛ばしてもトキに国境はない。99年には、中国から初めての繁殖用ペア「友友(ヨウヨウ)」「洋洋(ヤンヤン)」が来日。かつて、佐渡でも学んだ中国専門家の協力を得て、日本初の人工ふ化にも成功した。曲折はあったけれど、長年の夢がついにかなった思いがした。

 <日本で人工飼育したトキも100羽を上回り、ついに放鳥する段階に達した。自然に放たれたトキはどこに飛び、どこで暮らすのか。えさには困らないだろうか。放鳥への期待が膨らむ一方で、不安も尽きない>

 本来、人懐っこい鳥だと思うが、明治以来、日本人のトキに対する接し方は少々乱暴だった。珍しいからか、立ち止まってずっと見つめてしまい、結果として脅かしてきたような気がする。中国人の接し方は少し違って、「我関せず」という感じでトキのことを見守っている。

 全鳥捕獲から四半世紀を過ぎたが、当時の餌場は減反政策で荒廃し、全滅した。人が接近しにくい山の水田、山水が豊富な場所。野に放されたトキが生きていくためには、これらが最低条件となる。

佐渡島トキ保護の歴史
1871年  大英博物館、トキの学名を「Nipponia Nippon」(ニッポニア・ニッポン)とする

1908年  国の「狩猟に関する規則」に基づき保護鳥に指定される

  25年  「新潟県天産誌」で「濫獲の為ダイサギ等と共に其跡を絶てり」と記載、県内でトキ絶滅との認識

  30年  東京日日新聞(現毎日新聞)主催の座談会が旧両津町であり、住民がトキ生息を証言

  32年  旧農林省、島内に「朱鷺を保護せらるべし」と捕獲を禁ずる立札を設置

  34年  天然記念物に指定される

  52年  県、島内の生息数を24羽と推定。特別天然記念物に指定される

  53年  佐藤春雄氏が旧河崎村で負傷したトキを保護、両津高校で飼育

  55年  県、佐渡禁猟区4376ヘクタールを設定

  59年  冬期間のトキ給餌開始。佐渡とき保護会設立

  60年  国際保護鳥に指定される

  62年  県の佐渡禁猟区6620ヘクタールに拡張。国は新穂禁猟区約2000ヘクタールを新設

  65年  県の鳥に指定

  67年  旧新穂村に県トキ保護センター完成

  68年  宇治金太郎氏、旧真野町で雌「キン」を捕獲

  74年  国、トキ人工繁殖を推進する方針決定

  79年  佐渡島に生息する5羽の全鳥捕獲方針を決定

  81年  1月までに全鳥捕獲完了。雌は「アカ」「シロ」「キ」「アオ」、雄は「ミドリ」。キ、アカ相次ぎ死ぬ。中国・陝西省で7羽のトキ発見

  83年  ミドリとペアリングしたシロ死ぬ。ミドリとキンのペアリング開始

  85年  日中両国が協力し、トキの保護、増殖を目指す基本合意。10月、中国から雄「華華(ホアホア)」移送

  89年  キンと華華のペアリングに失敗し、華華を返還。中国で初の人工ふ化成功

  90年  ミドリを中国・北京動物園に移送、ペアリング開始

  92年  ミドリによる人工ふ化失敗、日本に返還。国産トキの絶滅確実に

  93年  環境庁がトキ保護増殖事業計画を策定、「現存個体の飼育を継続する」目標。3月、県トキ保護センターを移転、佐渡トキ保護センターに改称

  94年  日中首脳会談、中国トキの日本貸与で合意。9月、雄「龍龍(ロンロン)」と雌「鳳鳳(フォンフォン)」を移送。12月、龍龍が急死

  95年  4月、ミドリと鳳鳳による人工ふ化失敗、直後にミドリ死ぬ。6月、鳳鳳を中国に返還

  97年  中国のトキが100羽突破

  98年  中国の江沢民国家主席が、人工繁殖した2羽の贈呈を表明

  99年  1月、中国から雄「友友(ヨウヨウ)」と雌「洋洋(ヤンヤン)」のペアを移送。5月、日本初の人工ふ化に成功、雄のヒナに「優優(ユウユウ)」と名付ける。県など主導の「トキ保護募金」開始

2000年  10月、優優のペアリング相手に中国の雌「美美(メイメイ)」を移送

  02年  優優と美美の間に生まれた幼鳥2羽を初めて中国に返還

  03年  環境省や県など、15年に60羽を野生復帰させる再生構想。10月、日本最後の野生種・キン(推定36歳)死ぬ。12月、国のトキ保護増殖事業計画改定、日本で繁殖した中国種を野生復帰させる方針に転換

  04年  5月、優優と美美の間に生まれたヒナを初めて自然ふ化

  06年  5月、日本で人工繁殖したトキが初めて100羽を突破

  07年  3月、「野生復帰ステーション」完成。中国の温家宝首相が来日、「野生のトキ2羽を贈呈する」と表明。7月から試験放鳥候補(現17羽)の野生順化訓練開始。国の小佐渡東部鳥獣保護区を734ヘクタールから約17倍の1万2620ヘクタールに拡張。11月、中国で繁殖した雄「華陽(ホワヤン)」と雌「溢水(イーシュイ)」を移送。12月、感染症対策で佐渡の4羽を東京・多摩動物公園で初の分散飼育

  08年  日本初のトキ試験放鳥(予定)
http://mainichi.jp/articles/20080101/org/00m/040/999000c

http://archive.is/kDbkx