2013年12月30日

これからの人生 松田輝雄さん 樹木医・語り部 広がる仲間【yomiDr/ヨミドクター2013年12月30日】(オオタカ)

「都心にも豊かな自然がある。樹木のそばにいると自然と笑顔になるんだよね」(東京都内で)=大原一郎撮影
 落ち葉を踏みしめ、東京都内の公園を歩く一行を、冬の木漏れ日が包んでいた。

 「土の上で仲間と出会い、自然の中を歩けるのは本当に喜び。それだけで幸せになります」。今月中旬、同年代の約30人と散策しながら、しみじみ語った。

 自ら主宰する歩く会「生垣感謝団」の活動は、11年目に入った。年6回、会員と都内の街々を歩き、生け垣や屋敷林、街路樹や公園の樹木を観察して回る。

 「イチョウはもともと中国から来たんですよ」。歩きながら時折、解説を加える。朝から街を巡り、弁当を食べた一行は、和気あいあいと1日を過ごした。

 1人で旗揚げした「生垣感謝団」は、地元の東京都杉並区の広報誌を通じて参加を募り、十数人でスタートした。会員は、今では約100人に増えた。

 都内でも以前は多かった生け垣が、年々減ってブロック塀やコンクリート塀ばかりに。「でも、生け垣があれば手入れする住人との会話も生まれる。生け垣を見るとホッとします」

 街中の貴重な自然を愛する仲間と、共に過ごすひとときを大切にしている。

 花が大好きな少年だった。杉並区にあった生家の庭にはパンジーやスイレンが咲き誇り、母親や姉と手入れした。「花屋になりたい」と、園芸高校への進学を考えたことも。大学時代には、春休みに八丈島のフリージア生産農家に泊まり込み、アルバイトで手伝った体験もある。

 NHKで33年間、アナウンサーを務めた。「趣味の園芸」など自然相手の番組を多く担当した。朝の番組で、希少なオオタカの誕生から巣立ちまでを連日中継する企画を提案し、自分で解説も行い、話題を呼んだ。

 3人の子は成人し、妻と2人の生活に。職場ではエグゼクティブアナウンサーに上り詰めたが、1996年、フリーになる道を選んだ。管理職より、自然とふれあう現場でアナウンサーを続けたかったからだ。

 転機は、その2年後に訪れた。樹木の治療や保護などを担う「樹木医」の存在を知り、「なりたい!」と思った。応募するには、造園業や自治体の緑化担当などの経験が必要だったが、取材実績や樹木への関心を訴え、応募資格を認めてもらった。

 2年越しで樹木の生態や気候などを勉強し、筆記試験、面接を経て、2000年に資格を取得。樹木医は、古木の診断や治療が一般的だが、「自然の大切さを伝える『語り部』の役割を果たしたいと思った」。司会業や講演などのかたわら、樹木と親しむ活動を、もう一つの仕事にすえた。

 日本野鳥の会の理事や、杉並区の講座「すぎなみ地域大学」の初代学長を務め、多様な企画を実現してきた。都内の山林で、枝打ちや伐採をし、若木を植えるボランティア養成も手がけた。

 今秋、視覚障害者に向けた講演で、鳥の鳴き声を流し、鳥の姿形や、よく現れる樹木、季節などを丁寧に解説した。次は、本物の鳥の声を聞きに一緒に出かけようと、約束して別れた。

 「家にこもらず、花や木のある野に出かけよう」

 そう年配世代にも呼びかけていきたいと思っている。上を向いて歩けば、木々が目に飛び込んでくる。樹木を通し、仲間の輪を広げる手伝いをしていきたい。

 「樹木医になり、様々な出会いに恵まれた。その点でも、樹木に感謝ですね」(野口博文)

 まつだ・てるお フリーアナウンサー。1940年、東京都生まれ。早稲田大を卒業し、NHK入局。アナウンサーとなり、「おはよう広場」「にっぽん列島・朝いちばん」「テレビ電話相談」などの番組を担当。2001年から東京農大客員教授。著書に「春だもの咲くさ」など。

(2013年12月30日 読売新聞)
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=90406

ttps://archive.is/jSM9e

タグ:オオタカ
posted by BNJ at 23:00 | Comment(0) | 野鳥ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする