2015年10月25日

ケッコーな見応えです! 展示会「鶏づくし」【日本農業新聞e農ネット2015年10月25日】(展示会「鶏(とり)づくし」)

 東京都文京区の同区教育センターで、世界各地のニワトリの剥製を並べた展示会「鶏(とり)づくし」が開かれている。同区にある東京大学総合研究博物館が収蔵する約60種、150羽の剥製で、生きているような姿のものが多い。

 「鶏づくし」の名の通り、貴重なニワトリが数多く並ぶ。ニワトリの原種とされ、東南アジアに生息する「セキショクヤケイ」もいる。平安時代から伝わる品種の「小国」、体が真っ黒なチャボ「真黒」、足の太さが人の手首ほどあるベトナムの品種「ドンタオ」など、普段は見ることがない珍しいニワトリを間近で見ることができる。

千葉県流山市から見学に訪れた伊東友子さん(33)は「種類の多さに驚いた。見たことがないニワトリばかり」と見入っていた。公開は11月14日まで。無料で見学できる。(山田晃太郎)
http://www.agrinews.co.jp/modules/pico/index.php?content_id=35133

東京)世界のニワトリ、色とりどり60種 剥製を公開【朝日新聞デジタル2015年9月28日】
ニワトリにつぐニワトリ=文京区教育センター
 世界各地の60種約150羽のニワトリの剝製(はくせい)がずらり――。そんな展示会「鶏(とり)づくし」が、文京区湯島4丁目の区教育センターで開かれている。東京大学総合研究博物館が収蔵する世界的にも珍しい剝製コレクションを一挙に公開した。

 文京区が2012年から同博物館と始めた大学連携事業の一環だ。今回は、動物の解剖や進化史を専門とする遠藤秀紀教授が企画。人とニワトリの関係を探るため世界中から集めた剝製約250点の中から150点を紹介した。これだけの数が一気に披露されるのは初めてという。

 遠藤さんによると、ニワトリは4千年前のインダス文明のころには人に飼われていた。日本では平安時代の文学に時を告げる鳥として登場。闘わせる「闘鶏」も盛んだったようだ。

 「ニワトリは卵を産むし肉もうまい。抱いて運べ、どこでも簡単に飼える。声や姿も美しい。単なる家畜というより、人に愛され、人の生活や精神世界に入り込んだ人類のパートナーといえる」と遠藤さんは言う。現在は世界に約160億羽。日本では1人平均年間10キロ以上の鶏肉を食べているという。

 小柄なチャボ、肉をとるため大型化させたジャージージャイアント、尾の美しいオナガドリ、烏骨鶏(うこっけい)、原種の赤色野鶏など、色も大きさもさまざまなニワトリが一斉に同じ方向を向いて並んださまは圧巻。遠藤さんが映像で解説するビデオも3カ所に3種類ある。

 10月17日まで(日曜祝日休館)。無料。詳しくは区教育センター(03・5800・2591)。(斎藤智子)
http://www.asahi.com/articles/ASH9L75L7H9LUTIL09F.html

ttps://archive.is/BPN88
ttps://archive.is/YQnYm

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ケープペンギン:ゴンタです 久留米・鳥類センターで命名式 /福岡【毎日新聞2015年10月25日】

 久留米市の鳥類センターは24日、名前を募集していた生後5カ月の雄のケープペンギンに「ゴンタ」と命名した。

 ゴンタは5月、父ペンタと母ゴンから生まれた。センターは多くの人に親しんでもらおうと名前を公募。市内外から189件の応募があった。「ゴンタ」での応募は計8件あり、他に「くるっぺ」「ペンペン」などが寄せられたという。

 24日はセンターで命名式があり、「ゴンタ」で応募した人に命名証やペンギンの羽をプレゼントした。命名者の一人、八女市立三河小1年、宮内悠杜(はると)君(6)は「男らしい名前を考えた。元気に育ってほしい」と話した。【中村清雅】

〔筑後版〕
http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20151025ddlk40040329000c.html

ttps://archive.is/5N51C

珍しい群れでの飛来 渡り鳥アカアシチョウゲンボウ [長崎県]【西日本新聞2015年10月25日】

アカアシチョウゲンボウ 羽根を広げた幼鳥

電線から餌を狙う

 タカ目ハヤブサ科に属する渡り鳥、アカアシチョウゲンボウが五島市岐宿町中嶽地区に飛来している。10羽ほどおり、同市の日本野鳥の会会員、出口敏也さん(51)によると1カ所で複数が観察されるのは国内では珍しいという。
 アカアシチョウゲンボウは体長約30センチ。足や目の周りがオレンジ色をしている。繁殖地のロシア南東部などから越冬地のアフリカ南部を目指す途中、立ち寄ったとみられる。
 田畑の昆虫を餌にするため、止まっている電線から急降下する姿が見られる。出口さんは「五島で十分に栄養をつけて無事に越冬地に着いてほしい」と話した。
=2015/10/25付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/nagasaki/article/203168

ttps://archive.is/EfGRB
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【茨城】菅生沼に冬の使者 コハクチョウ飛来【東京新聞2015年10月25日】

菅生沼の水面でゆっくり羽を休めるコハクチョウ(県自然博物館提供)

 坂東市と常総市にまたがる菅生沼に、冬の訪れを告げるコハクチョウが飛来した。シベリア方面からの長旅の疲れを癒やすように、水面でゆっくりと羽を休めている。
 近くの県自然博物館(坂東市)の観察によると、今シーズンは昨年と同じ今月十七日に第一陣となる八羽のコハクチョウの飛来が確認された。これから飛来数も徐々に増えて、十二月から来年一月のピーク時には、毎年、約三百五十羽を超えるという。
 同博物館では、野鳥観察に、双眼鏡の貸し出しも行っている。 (原田拓哉)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201510/CK2015102502000163.html

ttps://archive.is/Gvf9I
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株式会社ケンコー・トキナー、10月31日(土)・11月1日(日)に開催される「ジャパンバードフェスティバル2015」に出展します。新製品の防振単眼鏡「SRシリーズ」他、多数の製品を展示。【プレスリリース2015年10月25日】

株式会社ケンコー・トキナー(本社:東京都中野区、代表取締役社長:山中 徹)は、2015年10月31日(土)・11月1日(日)に千葉県我孫子市手賀沼周辺で開催される、鳥をテーマにした日本最大級のイベント「ジャパンバードフェスティバル2015」に出展します。


ケンコー・トキナーブースは光学機器メーカーブースが集結する「手賀沼親水広場」に出展します。先日発売いたしました、生活防水機能付きの防振単眼鏡「SRシリーズ」や、フィールドスコープとしても一眼カメラ用撮影レンズとしても使える「MILTOLシリーズ」、非球面レンズ採用で周辺までシャープな像が得られる双眼鏡「プロフィールド」などの光学製品を展示いたします。また、アウトレット製品の販売も行います。

各会場では他にも鳥をテーマにした楽しい催しが行われます。鳥と自然を愛する人たちが一堂に会する年に一度のお祭り、バードフェスティバルにぜひお越しください。


ジャパンバードフェスティバル2015
10/31(土)・11/1(日)  9:30〜16:00
[最終日のみ〜15:00]
会場:我孫子市手賀沼周辺
雨天決行 入場無料
http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000231.000008859.html

ttps://archive.is/mPpkJ
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ストーリー:C・W・ニコルさんとの旅(その2止) 北極が僕の学校【毎日新聞2015年10月25日】

以下に(その1)があります。
アファンの森で東松島の子どもたちと深呼吸するC・W・ニコルさん(左から3人目)=長野県信濃町で
 ◆C・W・ニコルさん「人生の歌」

 ◇先住民の魂に触れ

 太古のたたずまいを今に伝える極北の地に、つかの間の夏が訪れた7月半ば。作家のC・W・ニコルさんと私は耐氷船に乗り、先住民のイヌイットたちが暮らすカナダのバフィン島と旧デンマーク領のグリーンランドを巡っていた。

 待望の日差しに海と大地は輝いていた。流氷が覆っていた北極の海に青い海原が顔をのぞかせ、クジラが潮を吹き上げる。ごう音とともに崩壊する氷河は、豊富なミネラル分を海に注いでオキアミやプランクトンを育み、それを捕食する小魚を追ってアザラシがやって来る。岩壁では海鳥が卵を抱き、ツンドラの大地に張り付くように極寒の冬を越した植物が色とりどりの花を咲かせていた。

 極北に差し込む光があれば、時代を映す影もあった。

 「カヤックや犬ぞりを使って、家族総動員でアザラシやカリブーを追う伝統的な狩猟生活は廃れた。大自然の恵みをみんなで分かち合い、衣食住を賄う自給自足の営みが消えようとしている」

 古老の言葉に、ニコルさんの横顔は寂しげだった。伝統食の生肉にハンバーグやカップ麺が取って代わり、山陰にはパッケージや空き缶が山積みになっていた。温暖化の影響も深刻さを増す。凍土が緩んで崖崩れが多発。森林限界の北上に合わせて、シロクマの領域にクロクマが侵略を始めた。南の国々が排出した化学物質は、気流に乗って公害とは無縁と思われた極地に飛来していた。

 ニコルさんを悲嘆させたのは、自殺やドメスティックバイオレンス(DV)、アルコールと薬物依存症のまん延だ。「政府が進める定住化と保護政策には伝統的な文化や営みを一変させる側面もあった。このままではイヌイットとしての尊厳と魂まで失ってしまう」。旅に同行してくれたイヌイットの女性活動家・アユさん(58)の言葉は、西欧文明の波に翻弄(ほんろう)される先住民の心の叫びだった。

 そんな現実を目の当たりにしながら、ニコルさんは思索を重ねた。そして、75歳の誕生日を迎えた夜、水平線の残照を見詰めながら、記憶の糸を紡ぎ始めた。

10歳の頃のニコル少年=本人提供

 第二次世界大戦の戦火が拡大し、パリが陥落した1940年、ニコルさんは英国のウェールズで生まれた。戦死したとされる父親の記憶はない。

 幼児期にリウマチ熱にかかり、病弱だったニコル少年は、6歳で「森の魔力」に引き込まれた。当時、預けられていた祖父母の家の近くに森があり、そこには先住民ケルトの時代から語り継がれるファンタジーの世界が広がっていた。

 ある日、家に引きこもってぐずるニコル少年に祖母が言った。「森に行ってナラの木を抱き、力を分けてもらいなさい」。何が出るか分からない森に恐る恐る通い続けると、次の課題を与えられた。「木のてっぺんに登って、木と一緒に深呼吸をしておいで」。必死によじ登った。鳥のまなざしで森を見渡すと、眼下に動物や猟師の姿があった。見たことのない世界に思えた。8歳の頃には、すっかり森を駆け回る野生児に成長していた。

17歳で北極の地に立ったニコルさん(左)とピーター先生=本人提供

 北極との出会いは12歳。極地探検家ナンセンの記録映画だった。オブジェのような氷塊、カヤックを操ってモリで狩りをする先住民に魅了された。海軍の青少年訓練所でカヤックや銃の使い方を学び、図書館に通って極地探検の本を読みあさった。

 母親が再婚し、13歳でイングランドの中学校に転校すると、方言をからかわれて上級生にいじめられた。負けん気も人一倍強かった。けんかに明け暮れ、柔道クラブに通って体を鍛えた。師範は小柄な日本人。いともたやすく大男を投げ飛ばす技の奥義に目を見張り、「武道の国」に憧憬(しょうけい)の念を抱いたのもこの頃だ。

 勉強は「大嫌い」。大学進学を勧める母親に反発し、高校卒業後はアルバイトをしながら北極行きの資金をためた。唯一の理解者は、中学時代の生物教師、ピーター先生だった。ニコル少年の熱い思いに接するうち、先生自身も極北にひかれ、一足早くカナダの大学の研究者に転じてしまった。

 ほどなく、そのピーター先生から吉報が届く。北極の鳥を調査するため、助手としての同行を打診する手紙だった。ニコル少年は迷うことなく、養父のサインをまねて保護者の同意書を偽造。「キャンプに行く」と偽って単身船に乗り込み、弱冠17歳であこがれの地を踏んだ。58年4月、北極は白一色の季節だった。

 「北極は僕の学校でした。見るもの聞くもの全てが初めてでした。とっくに絶滅したマンモスの狩り方や、はるか昔にユーラシア大陸から海を越えてやって来た先祖の話まで、代々伝承されていることにはびっくりしました。森羅万象に魂が宿り、人々は自然をあがめながら捕った獲物を分け合って暮らしていました」

 いとおしむように、ニコルさんは過ぎ去りし日々を回顧した。

 ピーター先生がカナダに帰国した後も、ニコルさんは現地に残ってイヌイットと寝食を共にした。言葉を覚え、犬ぞりやカヤックの操縦、狩りのやり方を教わりながら、氷の海と白い大地を駆け巡った。イヌイットは好奇心いっぱいの若者を「ショホセック(笑う少年)」と名付けて歓迎した。

 翌年もピーター先生と北極で過ごした。死線をさまよった末に、不思議な体験をしたのはその夏だった。

 前線キャンプ地で留守番をしていて嵐に襲われた。テントが飛ばないようにロープを腕に巻いた瞬間、体が宙を舞った。2日後、ピーター先生が戻り、額を割って耳から血を流して岩陰で倒れているニコルさんを発見した。居留地に搬送しようにも、嵐で無線が壊れて水上飛行機を呼べなかった。ニコルさんは記憶を喪失して自分の名前も忘れ、猛烈な頭痛と吐き気に襲われた。先生がテントから離れたすきに自殺を図った。

 「ライフルを口にして、レバーを引いたら『カチッ』と音がして……。不発でした。銃口の冷たい感触を覚えています。銃を掃除して弾が抜いてあったんですね。嵐が収まり、ぼうぜんとへたり込んでいたところへ、イヌイットの古老がカヌーでやって来ました」

 泣きじゃくるニコルさんを、古老は海を望む高台の墓地に連れて行き、墓に眠る一人一人の人生を語り聞かせて、戒めた。「お前はまだ人生の歌を残していない。生きて、歌を残しなさい」。古老がニコルさんの額に手を当てて呪文を唱えると、痛みがウソのように消えた。

 ◇人は地球の小さな存在

 記憶が完全には戻らぬまま、ニコルさんは英国に帰った。母親に懇願されて師範大学に進んだが、やはり学校には行かなかった。寝ても覚めても北極への思いが消えない。プロレスラーやボディーガードの仕事で稼ぎ、2年後に学術調査隊の一員として三たび、北極に向かった。

 その後も探検隊の一員として北極に通い、カナダ政府の技官やエチオピアの国立公園の野生動物保護管理官の職を得て、世界を渡り歩くようになる。北極に石油パイプラインの建設計画が浮上した時には、カナダ政府の制止を振り切り、建設に反対する先住民の証人として法廷に立って計画中止を後押しした。

 「日本の森」に初めて足を踏み入れたのは、空手の修行で来日していた64年。戦後の復興を世界に知らしめた東京五輪の年である。とはいえ、人と騒音があふれた東京の暮らしにニコルさんは閉口し、見かねた空手仲間が信州の森に連れ出してくれたのだ。

 「鳥たちの声が満ちたブナの原生林でした。木漏れ日の下にかれんな花が咲き乱れ、美しさに涙を浮かべました。あの頃の日本には山仕事がまだ存在していて、子供は山河を駆け回り、人々には森を慈しむ心が残っていました」

 以来、日本の森にひかれて国内の各地を回った。ダムや林道、ゴルフ場の建設で原生林が次々と伐採され、動物たちがすみかを失っていく様子を目の当たりにし、林野庁や環境省に保全を訴えた。80年に黒姫に居を構え、6年後に「アファンの森」づくりを開始。95年に日本国籍を取得した。森づくりの資金を工面するために童話や小説を次々と出版。テレビや講演の仕事にも追われた。売れっ子作家のナチュラリストとして一家言を求められるようになると、分単位の過密なスケジュールが続いた。新たな出会いと刺激に満ちてはいたが、様変わりした生活は常に違和感もつきまとっていたという。

アファンの森でツタのブランコを使った「ターザンごっこ」に歓声をあげる子どもたち=長野県信濃町で

 「僕の原点である北極に帰って人生を問い直そう」。50歳になった年、一念発起した。3カ月の空き時間を作りだし、3年連続で北極に通った。最初の2カ月はイヌイットと過ごして極地で暮らす体力と技術、感覚を取り戻す。残る1カ月は銃や食料を持たずにカヤックに乗り、一人旅に出た。食料は自然の恵みを分けてもらう。天候が荒れた時は岩陰に身を潜め、コケや野草で空腹をしのいだ。

 こびりついたぜい肉や邪気がそぎ落とされていくと、自身の存在が大自然と一体になるような感じがした。生き物たちが恐れる様子もなく現れ始め、鳴き声で気象の変化や周囲の異変を察することができるようになった。鏡面のような海にカヤックを浮かべて瞑想(めいそう)していた時のことだ。すぐ真下に大きなクジラが近付いてきて、丸い目で静かにニコルさんを見つめていた。

 「僕はイヌイットたちが『アンガコック(夢をよむ人)』とあがめるシャーマンの世界を垣間見たかった。自然と超自然の境界や時空を超えて宇宙と一体化するという、彼らの境地に触れたかった。その境地には至らなかったけど、人は地球上の小さな存在に過ぎないことを、体感できたように思う」

 2015年夏の北極の旅を、ニコルさんはそんな言葉で締めくくった。

 黒姫の木々が錦のような秋色に染まった10月半ば。アファンの森の炭焼き小屋で、私はニコルさんとまきストーブを囲んだ。話題は森の近況から始まった。

 今年は「実りの秋」になった。ドングリやクリやクルミが豊作で、おなかをすかして山から里に下りてくる動物の目撃情報は例年になく少なかった。長野県指定の絶滅危惧種のサンコウチョウが営巣し、アファンの森では58種類の絶滅危惧種が確認された。馬小屋造りも始まった。森で間伐した木々を林道や機械を使わずに馬で運ぶ「馬搬(ばはん)」の文化を復活させて、新たな雇用も創出する計画と聞いた。写真で見た道産子の「雪丸」と「茶々丸」は人なつこい面構えで、アファンデビューは来春になりそうだ。

 宮城・東松島の子供たちも元気でいるらしい。避難先の体育館を津波に襲われ、同級生や親を亡くした悲しさは残るが、森で取り戻した笑顔で仮設の学校に通っているという。移転先の裏山では、アファンの森の分家ともいえる「復興の森」づくりが進む。「昔のように子供たちが遊び回れる森をつくり、環境教育や心の育成に役立てたい」。子供たちの先生は夢を膨らませて約束してくれた。

 そして、ニコルさんは右足のひざの痛みに苦しんでいる。「オイル切れだね。このままじゃ、もう北極には行けなくなってしまう」。大好きなスコッチを控えてダイエットに励み、プールでウオーキングを続けている。

 ひとしきり盛り上がって、しばしの別れを告げると、ニコルさんは名残惜しそうに言った。

 「残された人生で僕ができることは、この森を未来に残すことだと思う。世の中はどんどん均一化して、地球は小さくなったように見えるかもしれないけれど、この森の一本の木の根っこにも、広大な『いのちの宇宙』が存在している。僕はこの森を、いのちを未来に育むノアの箱舟にしたい」。遠くで鳴くシジュウカラの声が聞こえた。

 ニコルさんの遺書には、こう記してあるという。<死んだら、アファンの森に埋葬してほしい>。森にはニコルさんの「人生の歌」が刻まれている。

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 ◆今回のストーリーの取材は

 ◇萩尾信也(はぎお・しんや)(東京社会部専門編集委員)

ニコルさんと北極を旅する萩尾信也記者(右)

 1980年入社。外信部副部長、社会部部長委員などを経て2015年7月から現職。03年の連載企画「生きる者の記録」で早稲田ジャーナリズム大賞を、11年の東日本大震災の長期連載「三陸物語」で日本記者クラブ賞を受賞した。今回は写真も担当した。

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 ツイッター(@mainichistory)発信中です。ストーリーの掲載日に執筆記者の「ひと言」を紹介しています。
http://mainichi.jp/shimen/news/20151025ddm010040070000c.html

ストーリー:C・W・ニコルさんとの旅(その1) いのちの森、笑顔再び【毎日新聞2015年10月25日】
グリーンランドにあるフィヨルドにそそぐ氷河を望むC・W・ニコルさん

 信州の名峰、黒姫山(2053メートル)の山麓(さんろく)で稲田が黄金色に輝いた9月下旬。裾野に広がる「アファンの森」に、作家でナチュラリストのC・W・ニコルさん(75)と東日本大震災で被災した宮城県東松島市の子供たちの姿があった。

 「感じるだろう。森が歓迎してくれているよ」。ニコルさんに促されて五感を研ぎ澄ますと、鳥のさえずりとイワナがすむ渓流のせせらぎが奏でる旋律に気づいた。木の葉は踊りながら涼風を運んでくれる。「ねっ、森も生きているだろう。みんなであいさつに行こう」。それが、子供たちと森の出会いだった。

 「アファン」の名は、ニコルさんが生まれた英国のウェールズの森の名前から拝借した。「風の通る谷」という意味だそうだ。

 戦中戦後の乱伐で荒廃して「幽霊森」と呼ばれていた5ヘクタールの森を、ニコルさんが私財を投じて入手したのは1986年。「いろんな生き物が一緒に暮らせる森に再生しよう」と手入れを続け、多くの希少生物が暮らす34ヘクタールの「いのちの森」に育んだ。2011年の震災発生後は「心に木を植える」プロジェクトを開始。津波で家族や友達を亡くした延べ235人の子供たちを受け入れてきた。

 地元の「森の達人」が子供たちの好奇心を呼び起こしながら、未知の世界へと導く3日間の探検。木登りやターザンごっこに興じ、キノコとクリと沢ガニを調達して、たき火を囲みながら初秋の実りを満喫した。森の生命力が心の傷を癒やすかのように、子供たちに震災前の笑顔が戻った最後の夜。闇にともった秋蛍の光は森の精霊のように見えた。

 「お金と科学が万能の時代に、人間は自然への畏敬(いけい)の念と共生のすべを忘れてしまった。この星はいったいどこに向かっているのだろう」

 十数年の親交があるニコルさんに誘われ、私たちは旅に出た。17歳で北極探検を始め、後に日本国籍を取得して森づくりに至るニコルさんの波乱と冒険の人生をたどりながら、未来を見詰める思索の旅。7月半ば、私たちは北極で白夜の夏を迎えた。<取材・文・写真 萩尾信也>
http://mainichi.jp/shimen/news/20151025ddm001040167000c.html

ttps://archive.is/Zz707
ttps://archive.is/nqRtr
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列車 タンチョウと接触【YOMIURI ONLINE2015年10月25日】

 24日午後0時20分頃、JR釧網線の塘路―茅沼駅間で、釧路発川湯温泉行きの普通列車(1両編成)が、国の特別天然記念物・タンチョウ1羽と接触した。列車は安全確認のため約5分遅れた。乗客25人にけがはなかった。
http://www.yomiuri.co.jp/hokkaido/news/20151025-OYTNT50034.html

ttps://archive.is/FLyNW
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