2018年03月19日

山形)「楽しく学んで」 天童で自然の中の勉強会【朝日新聞デジタル2018年3月19日】

いい匂いのする木と教わった子どもたちはクロモジの枝の匂いをかいだ=天童市田麦野

 「魔法の瓶を手に入れよ」「鷹匠(たかじょう)の家を訪ねよ」――。次々出される指令を自分たちで解決しながら、自然の中で算数や理科などを学ぶ勉強会が18日、天童市田麦野であった。市内の小学生ら16人が参加した。

 「こっちかも」「あった」。雪に覆われた田んぼの上を、メジャーを手にした子どもたちが走る。手元には二等辺三角形を組み合わせた図。この図を手がかりに、雪の下に隠された「魔法の瓶」を見つけるという指令だ。「三角形の2辺の長さは同じ」というヒントをもらい、子どもたちは目印からの距離を測って探し当て、協力してスコップで掘り起こした。

 ほかにも、社会科の勉強で、田麦野に住む鷹匠を訪ねて仕事や生き物について話を聞いた。理科では、大木の下で枝に触れながら、堅い木やいい匂いのする木があることを学んだ。

 「やまがたこどもアトリエ」が…

残り:176文字/全文:527文字
https://www.asahi.com/articles/ASL3L4QWBL3LUZHB003.html

http://archive.is/7XQO2

タグ:鷹匠
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カラス対策など動画マニュアルで紹介 農研機構【農業協同組合新聞2018年3月19日】

・パンフレットを増補改訂
 農研機構は3月15日、パンフレット「農研機構の鳥害対策増補改訂版」を発行した。

 このパンフレットは、増補改訂前から紹介している果樹園のカラス対策「くぐれんテグス君」と「防鳥網の簡易設置技術」に加え、畑のカラス対策「畑作テグス君」、高さ3.5mの果樹対応の防鳥網の簡易設置技術「らくらく設置3.5」の合計4つの技術をわかりやすく紹介している。また「らくらく設置3.5」では、
新たに動画マニュアルも作成し公開した。
 パンフレットでは、これまでの版に発展型の2つの技術を加えた4技術を紹介することで、対応できるほ場や作物の範囲を拡げるとともに、表紙には加害鳥種と対象作物を視覚的に明示した適用表を配することで、生産者のほ場で使える技術を選択しやすくしているのが特長だ。
 パンフレットは農林水産省の各地方農政局、都道府県を通じて、地域の鳥獣害担当部署に配布するほか直接送付も行う。
 また鳥獣害グループからもダウンロードできる。
 防鳥網の簡易設置「らくらく設置3.5」ビデオマニュアルから視聴できる。

○問い合わせ先:同機構産学連携室広報チーム
○TEL:029-838-8421
○E-mail:koho-narc@naro.affrc.go.jp
http://www.jacom.or.jp/nousei/news/2018/03/180319-34859.php

http://archive.is/dOUlu
ストップ鳥獣害(103) カラスの侵入防ぐ「畑作テグス君」 農研機構中央農業研究センター【全国農業新聞2017年11月10日】
ストップ鳥獣害(31) カラスハイレマ線【全国農業新聞2015年11月27日】(既報関連ソース有り)
カラス対策で弘大医屋上にテグス新設【陸奥新報2015年10月24日】
岐阜 黒ワイヤ使い柿泥棒撃退 大野でカラス防止実験【中日新聞2015年9月16日】
[鳥獣害と闘う] 黒テグス カラス撃退 福岡県の古野さん【日本農業新聞e農ネット2015年6月16日】
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集落の空 高架橋横切る(駅 三江線35の物語:5)【朝日新聞デジタル2018年3月19日】(ブッポウソウ)

石見都賀駅=2月中旬、美郷町都賀本郷

 ちょっと太めのモノレールのように、三江線の高架橋が集落の空を横切る。石見都賀駅がある島根県美郷町都賀本郷地区。14年前に合併で美郷町になるまで旧大和(だいわ)村の中心地だった。駅から約700メートルには村役場だった建物が今も残る。

 そのそばを通る高架橋が窓からよく見える町商工会大和支所を訪ねた。迎えてくれた経営指導員の中原忍さん(60)はこの春定年で、廃線の時期と重なった。「高校生の時に開通したことを覚えている。え、もうなくなるのかという思いだ」

三江線特集ページ
 町によると、旧役場は合併後、支所として使われていた。その機能もすでになく、今は1階が倉庫、2階は地区の葬儀などに使われるぐらいという。近くには47年前の役場の竣工(しゅんこう)を記念した立派な石碑が立つ。「列車が走らない高架橋は、あの石碑のような存在になるのでしょう」と中原さん。

 駅から1キロ以上離れた国道375号沿いの「道の駅 グリーンロード大和」には廃線後の代替バスなど停留所が新たに三つ置かれる予定で、地区の新たな拠点と期待される。県が管理する道の駅はトイレと駐車場だけ。休憩施設は隣接する町の施設で、3年前から運営するのが合同会社「だいわもんど」。出資する地域住民約120人が全員社員だ。

 「店が減って、自分たちで店を持たないと地元で買い物ができなくなる恐れがあった」。設立の理由を代表社員の吉田晃司さん(78)はこう話す。

 休憩施設のカフェの並びに、日用雑貨がそろう「だいわマート」をオープンさせた。さらに、元々あった産直市場をリニューアルし、週2回から毎日開くようにした。10年前からは近くの松尾山八幡宮の秋の祭りで4千本の竹灯籠(とうろう)を並べる活動を続け、地域は自分たちで盛り上げるという機運を高めてきた。

 「今から思うと、わが町に鉄道があるというのは心の支えだった。この古里が子や孫の代まで続くために、新しい駅となるよう知恵を絞らないと」と吉田さんは言う。

ノート通じ旅人に触れる
 高さ約20メートルの橋の上にあり、「天空の駅」と呼ばれる宇都井駅(邑南町宇都井)。上り口から見上げると天に続く塔のようだ。幅1・5メートルほどのコンクリートの階段を10段上るごとに現れる踊り場が11回、さらに6段上がると駅舎の待合室。116段上りきったベンチの片隅の網かごに目指すものはあった。

ログイン前の続き 「そろそろページがなくなる頃かなあ」。山間の一軒家に一人住む松島喜久恵さん(91)は、道路に雪が残っていないことを確認すると、愛用の電動三輪車で約15分かけて宇都井駅を目指す。駅に備えられているノートの管理人だ。

 1975年の開通からしばらくして、「九州から来た若者がノートを置いた」と聞いた。駅を利用するたびノートを開き、見知らぬ土地の旅人が書き残したメッセージを読むのが楽しみになった。ある日、ノートがいっぱいになっているのに気づき、心配して新品を置いたのが始まりだ。

 三江線には今も月3回ほど乗る。県境を越え、広島県三次(みよし)市への買い物に使う。自宅隣の墓に眠る夫とは3駅先の潮(うしお)駅(美郷町)で降り、よく温泉に行った。2年前の9月、JR西日本が廃線を表明。「びっくりしたけど、赤字ならしゃあない」

 もうノートの心配はなくなると思ったが、廃線を惜しむ人々が押し寄せ、ページが埋まるスピードも一気に加速。それまでの30枚程度から、もっと分厚い100枚のノートを三江線で三次まで買いに行った。

 松島さんもテレビなどで取り上げられ、列車に乗ると「宇都井のおばあちゃん」と見知らぬ人から声がかかる。駅に着くと、右手に杖、左手で手すりを持って階段を一段ずつ10分近くかけて上る。「上らにゃ、皆さんが書いてくださったノートを見れんわな。私はまだまだ上れるよ」

 ノートはすべてベンチの網かごに収められている。古いものはなくなり、20年前に誰かが表紙に振ったナンバーは1月下旬、26号を数えた。

野鳥観察の特等席
 江津駅から県内を走ってきた三江線は初めて隣の広島県に入り、この駅を経てすぐに島根に戻る。江の川に架かる二つの橋梁(きょうりょう)に挟まれた県境の駅、広島県三次市作木(さくぎ)町の伊賀和志駅だ。

 勧められて駅舎のベンチに座った。入り口引き戸のガラス窓からのぞくと、線路を隔てた正面の電柱のてっぺん付近に何かがある。「巣箱?」。横を向くと地元の町おこしグループ「めんがめ倶楽部」の漆本(うるしもと)孝博・副会長(59)の笑顔があった。

 瑠璃色の姿にオレンジ色のくちばしや脚を持ち、「森の宝石」と呼ばれるブッポウソウが毎年5月、東南アジアから営巣に渡ってくることで知られる。環境省の絶滅危惧種に指定される珍しい野鳥だ。「この駅舎はその姿を観察できる特等席」と漆本さんは言う。

 島根側ではこの鳥の名をあまり耳にしない。鳥が県境を気にしたわけでもあるまい。その秘密はこの巣箱にあるという。

 最初の巣箱は、鳥や生態系を研究している飯田知彦さん(51)=広島市在住=が30年前に設置した。つがいを見つけて電力会社から許可を得たという。ブッポウソウは他の鳥が開けた木製の電柱の穴などを巣にしていたが、電柱がコンクリート製に替わり、全国的に営巣場所が激減。絶滅を心配しての行動だった。

 これに漆本さんのグループなどが賛同。今は作木地区の150カ所以上に巣箱がある。餌にトンボなどの昆虫を好む。「この地域は餌場となる開けた草原があったことも大きい。廃線後、線路が藪(やぶ)化しないよう今の環境を保ってほしい」と飯田さんは話す。

 漆本さんに、駅周辺の巣箱を一つずつ案内してもらった。9カ所ある巣箱はほぼ全部が営巣に使われるという。歩いて約5分の場所には漆本さんらが管理する観察小屋があり、観察ツアーの案内もする。「渡り鳥や鉄道は、こんな山里でも全国や世界につながっていることを実感させてくれる。その一方がなくなるのはつらい」(今林弘)

住民が運営 祭事継承
 好天に恵まれた17日午後3時半ごろ、口羽駅(邑南町下口羽)はにぎわっていた。上下線の行き違いがあり、ツアー客や鉄道ファンらでホーム周辺に約100人が集まった。

 駅舎前に、羽須美(はすみ)地域(旧羽須美村、2004年邑南町に)の案内図が立つ。地図と地域の光景を紹介する写真が10枚。1枚に「口羽祭りの楽(がく)打ち」とある。地区の神社、宮尾山八幡宮の秋のお祭りだ。

 八幡宮は駅から直線距離で約200メートルの山の上。石段を数えながら上がると156段だった。本殿のほか神楽用の舞殿、右大臣左大臣が鎮座する随身(ずいじん)門も備える。「羽須美村誌」(1988年)によると、現地に建ったのが室町時代の永享3(1431)年。以後、何度も再建、改築されてきたらしい。

 祭りの由来は町役場に記録がなく、羽須美村誌には「口羽まつり祭礼」として「寛政七卯(う)祭礼の時の覚」という文書が載っている。寛政7年は1795年。このころには少なくとも祭りが存在していたらしい。

 宮尾山八幡宮総代長の戸田淳さん(87)によると、宮司は戦後10〜20年たったころ亡くなり不在。「廃らせず守っていこう」と地区で役員や総代を選び、毎年祭事を続けてきた。

 戸田さんは大みそか、NHKの紅白歌合戦を最後まで見られない。除夜祭の仕事があるためだ。午後10時には神社に上がり、参拝者を出迎える。寄付としてのおさい銭を受け取り、お神酒を振る舞う。

 秋の口羽祭りは毎年10月4〜6日。神楽、おみこしのほか3年に1度、約200人が笛や太鼓を奏でながら練り歩く「楽打ち奉納」がある。華やかな衣装と祭りばやしで盛り上がる。前回は16年だったが、継承が危ぶまれており、機会を増やすため1年早めて今秋もやってはどうかと議論が進んでいる。「長く続いた祭り。皆さんの思いが強い」と戸田さんは語る。

棚田 新たな魅力発見
 江平駅(邑南町上田)は、ホームに屋根付きのベンチと簡易な待合所はあるが駅舎はない。老朽化したホームの端には穴が開いている。西側は里山が迫り、すぐ東は江の川。人気(ひとけ)の少ない静かな駅だ。

 「上田平佐(ひらさ)棚田(龍王塾)」。駅前に小さな緑の道標があった。示された矢印の方向に狭い山道をうねうねと1・5キロほど登ると、谷あいに棚田が広がる一帯に出る。

 江戸時代初期、たたら製鉄で使う砂鉄採取に伴って出た石を積み、田を作ったのが始まりと伝わる。棚田保存会の会長で町町民課長補佐の永井智行さん(52)によると上田、平佐両地区で約20戸の農家があるが、高齢化と過疎化で棚田全体の4割ほどが耕作放棄地となっているという。

 他県の成功例にならい、1998年に保存会を作り翌年「棚田オーナー制度」を始めた。最初は5組ほどでスタート。口コミで増え、今年は15組約60人。小学生から70歳代まで年代も幅広い。1区画(100平方メートル)3万9千円を払ってオーナーとなる。普段は地区の農家が栽培の世話をし、5月の田植え、9月の稲刈り、10月の収穫祭にはほとんどのオーナーが足を運ぶ。6〜7月は可能な時に訪れて草取り。農作業後にはみんなで昼食を作って楽しむ。

 2001年には、県の補助を受けて農業体験交流施設「龍王塾」も地区内に建てた。施設名は近くの龍尾(たつお)神社に由来する。

 「土いじりが面白い」「自分で作ったお米はおいしいですね」。オーナーたちの言葉が永井さんにはうれしかった。「棚田がきれいだとか、お米がおいしいとか自分たちが気付かなかった魅力を見つけさせてもらった」

 今年も3月末までオーナーを募集している。永井さん(090・7775・1982)か、事務局の三上さん(090・4897・5030)へ。(奥平真也)
https://www.asahi.com/articles/ASL2R53X6L2RPTIB00G.html

http://archive.is/9WZm4
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世界が注目!日本の絶滅鳥が復活【NHK NEWS WEB2018年3月16日】

羽を広げると2メートルを超える大型の海鳥「アホウドリ」。
国の特別天然記念物に指定されているこの鳥は、かつて数百万羽が小笠原諸島や伊豆諸島に生息していました。ところが、19世紀末から、羽毛をとるための大規模な乱獲が始まり、1949年(昭和24年)に一度は、絶滅宣言が出されます。

2年後、偶然にも、東京の南600キロに位置する鳥島の断崖に、わずか10羽だけが生息しているのが見つかり、多くの日本人研究者による世界でも例を見ない大規模な保護活動が続けられてきました。

現在、その個体数はおよそ4500羽。絶滅が宣言された生物種が、再びよみがえり始めたのです。こうしたケースは、世界的にも少なく、日本の取り組みは、絶滅危惧種の保護に取り組む世界中の人たちから、大きな注目を集めています。40年以上にわたる、保護活動にかけた日本人研究者たちの思いと、世界で注目を集める日本のアホウドリの保護活動についてお伝えします。(科学文化部記者 斎藤基樹)
別名”沖の太夫”アホウドリがたどった過酷な運命

羽を広げると2メートルを超える大型の海鳥「アホウドリ」。
海上を吹く風に乗って優雅に舞う姿から別名「沖の太夫」とも呼ばれます。

かつては、伊豆諸島や小笠原諸島など国内に数百万羽が生息していたアホウドリに受難の歴史が始まったのは19世紀末。羽毛が良質な布団の材料になると世界中で乱獲されたのです。

1905年(明治38年)ごろ、小笠原諸島の父島で撮影された1枚の写真が残っています。

手にアホウドリを持った男性の足もとを埋め尽くすのは、すべてアホウドリの死骸です。

陸上では動きが緩慢なアホウドリは短期間に大量に捕獲され、姿を消していきました。
乱獲に警鐘を鳴らす研究者の訴えによって、小笠原諸島と伊豆諸島の両方で、アホウドリの捕獲が禁止されたのは1936年(昭和11年)。しかし、時すでに遅く、アホウドリは、生息が確認出来なくなり、1949年(昭和24年)には、絶滅宣言が出されたのです。

奇跡の再発見

奇跡といってもいい出来事がおきたのは、その2年後の1951年(昭和26年)のことでした。

伊豆諸島・鳥島にある、人の目につかない断崖絶壁で、10羽余りのアホウドリが生息しているのが見つかったのです。

鳥島は、現在、無人島ですが、当時は、台風観測のため現在の気象庁の測候所が置かれ、たまたま高い崖に登った職員が発見したのです。

アホウドリ乱獲の現場だった鳥島には、かつての羽毛採取業者が持ち込んだ飼い猫が多数野生化していて、ヒナが襲われるおそれがありました。
測候所の職員らは、手弁当で猫の駆除に取り組み、アホウドリが巣を作る島の傾斜地の土が、大雨で流れないよう草を植える活動を始めたと言います。

終戦後まもない時代に、10羽にまで減ったアホウドリが絶滅を免れたのには、手弁当で保護にあたった測候所の職員らの取り組みがありました。

アホウドリに魅せられた男

職員らの取り組みは、1965年(昭和40年)の測候所の閉鎖でいったんは途絶えますが、彼らの取り組みを受け継いだ人物がいました。

京都大学理学研究科で動物学を学んでいた長谷川博さん(東邦大学名誉教授)です。

1976年(昭和51年)に初めて鳥島を訪れ、船の上から優雅に飛ぶアホウドリの姿を見て、すっかり魅了されたといいます。

そもそも「アホウドリ」は、羽毛業者らが乱獲の際、人をおそれず、簡単に捕まったためにつけた名前で、海の上を舞う姿は優雅で美しいのです。

英語名も「白い海鳥」を意味するアルバトロスで、アホウドリという名称は、世界では使われていないと言います。

長谷川さんは、毎年2か月以上、無人島に住み込み、山階鳥類研究所や現在の環境省を巻き込んで、アホウドリのヒナが生育しやすい新たな繁殖地を島内に作る取り組みを始めました。

アホウドリは、もともと島全体を埋め尽くすほどいましたが、乱獲後、人が来ない崖や傾斜地で産卵するようになり、このため大雨で巣が流されるなどヒナの死亡率が大幅に高くなっていました。

アホウドリは、繁殖期になると、他のアホウドリに強い関心を示す習性がありますが、この習性を利用して「デコイ」と呼ばれるアホウドリの模型を島の平地に多数設置。近づいたアホウドリが、その場所で巣作りするような取り組みを始めたのです。

アホウドリの模型
その成果が見えてきたのは、取り組みを初めて10年後。ヒナの死亡率が下がり、多くのヒナが巣立つようになったのです。

長谷川さんは、初上陸以来、40年以上鳥島に通い続けていますが、2000年(平成12年)ごろには個体数を1000羽余りにまで増やすことに成功しました。

前代未聞の移住作戦へ

ところが、2002年(平成14年)。再び、アホウドリが絶滅するかもしれないという懸念が高まる出来事がありました。鳥島で1939年(昭和14年)以来、63年ぶりという火山の噴火です。

このときの噴火は、小規模なものでしたが、大規模噴火があれば、アホウドリが絶滅しかねません。そこでアホウドリのヒナを親鳥と離して、ヘリコプターで350キロ離れた無人島・聟島まで運び、新たな繁殖地を作るという世界にも例をみない一大プロジェクトが計画されました。

このとき長谷川さんからバトンを受け取り、この新たな取り組みを始めたのは、山階鳥類研究所の研究者を中心とする若手チーム。育った場所に戻って繁殖するアホウドリの習性を利用するものでした。

ヒナの飼育と巣立ちに成功

前代未聞のプロジェクトが始まったのは、2008年(平成20年)2月。ヘリコプターで鳥島から10羽のヒナが聟島に運ばれました。

生まれて1か月のヒナは、自分ではエサが取れないので、人が親代わりになってイカやイワシのすり身を与えます。

長谷川さんからバトンを受け取った飼育チームのリーダー、山階鳥類研究所の出口智広さんは、「一羽も死なせるわけにはいかない」とこのときから通算で2年以上も無人島に泊まり込みました。アホウドリの人工飼育は、世界でもほとんど例のない取り組みです。

1年目は、10羽、2年目からは15羽ずつ。ヘリコプターで運んでは、およそ3か月間、巣立ちまで飼育しました。

待ちに待った帰還と初めてのヒナの誕生

アホウドリはいったん巣立つと、数年間は海上を放浪するため、繁殖のため生まれた島に戻るのはその後です。

出口さんは、巣立ったヒナの帰還を首を長くして待ち続けました。 そして、3年後の2011年(平成23年)初めて、巣立ったヒナが聟島に戻ってきたのです。

そしておととし、実に80年ぶりに小笠原諸島で、アホウドリのつがいが産卵。ヒナが誕生しました。世界初のプロジェクトが始まって、まる10年を迎えたことし2月。出口さんは、再び聟島に入りました。ことしもヒナが新たに1羽誕生し、聟島生まれの通算3羽目のヒナが確認され、新たなつがいも確認されました。 「海にはザトウクジラ、空にはアホウドリ。小笠原には大きな生き物が似合います。まだ10年以上かかるかも知れませんが、再び多くのアホウドリが小笠原で見られる日を目指して取り組んでいきたい」と出口さんは決意を新たにしていました。

世界につながる保全の輪

アホウドリは、小笠原諸島や伊豆諸島に住む今回の種類を含めて、世界に22種類が存在しますが、このうち15種類が絶滅の危機に瀕しています。

40年以上にわたって受け継がれてきた日本の保護活動は、聟島への移住成功によって世界的にも知られるようになりました。

聟島で研修を受けるニュージーランドのNGOスタッフ(右)
この数年、ニュージーランドやハワイの研究者らが、同じような取り組みを自分たちの国でも始めたいと学びに訪れるようになっています。

小笠原で始まった取り組みは世界に輪を広げつつあるのです。

生き物を絶滅させてしまう強大な力を持つのも人間なら、絶滅に瀕した生き物を救う英知を持つのもまた人間です。

ただ、このプロジェクトが本当に成功と言える日まではまだまだ時間がかかります。多くの人に関心を持ってもらい、支えてほしいと思います。
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0316.html
タグ:アホウドリ
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32種の渡り鳥、じっくりと観察 大館市の米代川周辺など【秋田魁新報2018年3月19日】

田んぼで羽を休める渡り鳥の群れ
 秋田県大館市に飛来する渡り鳥の観察会が18日、同市の米代川周辺などで開かれ、市民ら約30人が双眼鏡やカメラを手に、オオハクチョウなどが羽を休める姿に見入った。

 「大館自然の会」(伊藤郁夫代表、約100人)の主催。環境問題に関心を高めてもらおうと、会が発足した1988年から毎年開いている。

 参加者は、同市板沢の米代川の川岸や長木川の支流・下内川(しもないがわ)に架かる松峰橋など4カ所を巡り、優雅に羽を広げるオオハクチョウや黄色い目が特徴的なキンクロハジロのほか、ヒドリガモ、コハクチョウ、マガンなどを観察した。
(全文 455 文字 / 残り 198 文字)
http://www.sakigake.jp/news/article/20180319AK0028/

http://archive.is/SwtfD
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アオサギ、器用に巣作り盛ん 秋田市新屋町【秋田魁新報2018年3月19日】

樹上で巣作りを始めたアオサギ
 サギの営巣地として知られる秋田市新屋町の秋田運河沿いの雑木林で、アオサギの巣作りが始まっている。

 18日は、時折薄日が差す中、巣材となる枯れ枝をせっせと樹上に運び、くちばしを器用に使って積み重ねる姿が見られた。
(全文 226 文字 / 残り 120 文字)
http://www.sakigake.jp/news/article/20180319AK0012/

http://archive.is/tbRUD
タグ:アオサギ
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奄美大島の国天然記念物「オオトラツグミ」、例年並みの個体数【産経ニュース2018年3月19日】

 鹿児島県の奄美大島だけに生息する国指定天然記念物で絶滅危惧種の野鳥「オオトラツグミ」の現地調査が18日、島中央部を走る林道で行われ、ほぼ例年並みの個体数が確認された。近年は300羽前後で推移、最終的な個体数は4月上旬ごろ判明予定という。

 調査には島外からの大学生など150人余りが参加。2、3人一組で往復4キロを歩きながら、鳴き声が聞こえてきた方向や時間などを記録していった。参加した神奈川県の土師秀夫さん(67)は「思ったより大きな鳴き声で、きれいだった。これからも調査を継続してほしい」と話した。

 オオトラツグミは平成14年までは数十羽だったが、森林環境の改善などで増加傾向にある。平成6年から調査を実施している奄美野鳥の会の高美喜男副会長は「正確なデータの把握を継続することで、保護に役立てたい」と話した。
http://www.sankei.com/region/news/180319/rgn1803190028-n1.html

オオトラツグミ 奄美固有種 例年並み 個体数調査 /鹿児島【毎日新聞2018年3月20日】
 奄美大島だけに生息する国指定天然記念物で絶滅危惧種の野鳥「オオトラツグミ」の現地調査が18日、島中央部を走る林道で行われ、ほぼ例年並みの個体数が確認された。近年は300羽前後で推移、最終的な個体数は4月上旬ごろ判明予定という。

 調査には島外からの大学生など150人余りが参加。2、3人一組で往復4キロを歩きながら、鳴き声が聞こえてきた方向や時間などを記録していった。参加した神奈川県の土師秀夫さん(67)は「思ったより大きな鳴き声で、きれいだった。これからも調査を継続してほしい」と話した。

 オオトラツグミは2002年までは数十羽だったが、森林環境の改善などで増加傾向にある。1994年から調査を実施している奄美野鳥の会の高美喜男副会長は「正確なデータの把握を継続することで、保護に役立てたい」と話した。
https://mainichi.jp/articles/20180320/ddl/k46/040/334000c

http://archive.is/VUucH
http://archive.is/Lin0I
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広島・三次の鵜飼い、鵜の大量死であわや中止に【日経ビジネスオンライン2018年3月19日】

時に時勢に見放され、時に敵襲に遭い、時に身内に裏切られる――。栄華興隆から一転して敗戦に直面したリーダーが、おのれの敗因と向き合って問わず語りする連載「敗軍の将、兵を語る」を、「日経ビジネス」(有料)では原則毎号掲載しています。連載の魅力を知っていただくために、2018年3月の月曜から金曜まで、過去2年間に登場した「敗軍の将」たちの声を無料記事として転載・公開します。

(日経ビジネス2016年10月10日号より転載)
450年の伝統がある広島県三次市の鵜飼いが開催中止の危機に陥った。25羽いた鵜飼いの鵜のうち14羽が相次いで病死したためだ。急きょ取り寄せた若い10羽の鵜を使い、鵜飼いの開催に間に合わせた。


[三次市観光協会 会長]
信國 秀昭氏
1952年広島県生まれ。三次市観光協会に入会し、2000年に協会理事に就任。2004年には副会長も兼任。2012年から会長兼代表理事に就任した。広島県三次市の旅行会社「広島内外旅行」の代表取締役も務める。

鵜飼いの鵜、大量死の概要
450年の伝統を誇る広島県三次市の鵜飼いにおいて、2016年1月から3月にかけて飼育していた鵜14羽が相次いで病死した。原因は冬場に水分不足によって脱水症状を起こし、それがきっかけとなって腎障害になったことだった。開催中止の危機に陥ったが、急きょ若い10羽の鵜を購入。短期間で鵜飼いの訓練をし、かろうじて開催にこぎつけた。

広島県三次市の馬洗川で毎年開催される鵜飼いの様子。鵜匠が鵜を操って川にいる鮎を捕獲する様子を観光客が遊覧船の上から見学して楽しむ(写真=三次市観光協会)
 広島県三次市の鵜飼いは450年もの歴史があるもので、戦国時代から続く伝統があります。毎年6月から9月まで三次市内の馬洗川で行われており、鵜匠と呼ばれる人が船の上から手綱でつながれた鵜を操って、川にいる鮎をとる様子を遊覧船の上から観光客の方に見て楽しんでいただいています。

 三次市の鵜飼いは歴史や伝統から見ても地域で一番の観光資源だと考えています。当然鵜がいないと成り立たないわけですが、25羽いた鵜が2016年の初めから14羽も死んでしまいました。具体的には1月に6羽、2月に6羽、3月に2羽の合計14羽が相次いで死んでしまいました。鵜飼いを楽しみにしてくださっている方にご心配をおかけしてしまいました。


鵜は野生を捕獲して、鵜匠が3年ほど訓練して鵜飼いに使う(写真=三次市観光協会)
 三次市の鵜飼いは毎年2羽ほどの鵜を新たに購入していますが、これは老衰で死んだ鵜の入れ替わりのためです。今回のようにこれだけ大量に死ぬことは過去もありませんでした。

 1月に鵜匠から鵜が次々と死んだと聞いて、大変驚きました。私は野生の動物の専門家ではありませんが、原因として考えたのが鵜の飼育場の整備工事でした。整備工事には下地のコンクリートを新しいものに変える工事が含まれていました。その工事の過程で古いコンクリートを削岩機のようなもので壊していく作業がありました。鵜はとても繊細な生き物ですので、工事の音や振動が鵜にストレスを与えたのではないか、それが死んだ原因なのではと思いました。しかし工事の後も鵜が死んでいく中、それは原因ではなさそうだという話になりました。その後、獣医の方と話し合った中で出たのは鳥インフルエンザの可能性でした。

 すぐさま広島県の専門部署に死んだ鵜を検査してもらったのですが、鳥インフルエンザではありませんでした。それ自体はよかったのですが、原因がなかなか判明しないことに戸惑いました。

死因は脱水だった

 そこで鵜の専門家がいる岐阜大学に鵜の解剖を依頼することにしました。岐阜県は長良川での鵜飼いが伝統もあり有名です。鵜飼いを世界遺産にしようと活動していらっしゃるなど行政を挙げて取り組んでいます。我々とも全国鵜飼サミットという鵜飼いの担当者らが一堂に会するイベントで面識がありましたので、そのツテで依頼しました。

 解剖検査の結果、死因が見えてきました。鵜が脱水状態にあり、それが腎障害の尿酸塩沈着症を引き起こした疑いが強いというものでした。三次市の鵜飼いも伝統がありますし、県の無形民俗文化財に指定されたほどで、鵜匠も鵜の飼育の経験は豊富です。水やエサももちろん鵜に与えていましたので、死因が脱水と聞いて驚きました。

 鵜匠と話した結果、今年は今までとは異なる状況があったことが分かりました。三次市は1月ごろ、近年にない大寒波に襲われていたことです。一番寒い時でマイナス12度にも達したと記憶しています。

 過去に記憶がないほどの寒波にみまわれて、鵜匠も鵜をどう扱うか悩んだそうです。以前に鵜匠をしていた先輩にもずいぶん相談したと聞いています。そこで出た話が、人間でもこれだけ寒いと感じる中であまり外に出さない方がいいというものでした。具体的には訓練などで外に水を張ったプールがあるのですが、今年はそこに鵜を入れなかったそうです。結果的にはこのプールにつけていなかったことが大きな違いになったようです。鵜はプールなど水の中にいることで、自然に水を飲んでいるのではという話になりました。


信國 秀昭氏 [三次市観光協会 会長]


急きょ10羽を確保

 鵜飼いは中止せずに6月から実施しました。鵜飼いは三次市の貴重な観光資源で、それを通じて三次市の宿泊客を増やすことを目指しているためです。宿泊客は宿泊料金だけでなく食事やお土産などで消費してくれます。試算した結果、日帰り客の7倍はお金を使う計算になります。宿泊客は最大の経済効果を生むと考えています。昨年3月には中国横断自動車道の尾道松江線が全線開通し、三次市で中国自動車道とクロスするなど交通の便もよくなっていますので観光客増の期待は大きい。

 ただ残った11羽だけでは鵜飼いは開催できません。そこで鵜の捕獲場所である茨城県日立市に行政を通じて鵜を多く分けてもらうように依頼しました。最優先で10羽を融通してもらいました。

 三次市に鵜が来たのは5月に入ってでしたので、鵜飼いに投入するまで訓練できるのは1カ月もありませんでした。通常は3年ほど訓練に時間をかけますので、かなり短い。従来の鵜と同じレベルで鵜飼いはできません。ただ今年については、鵜を実践で調教しながらの鵜飼いを見ていただく考えでした。本来ならばしっかりとした訓練を経て見せるのが基本なので、お客様には失礼な部分もあったかもしれませんが、調教をしながらの鵜飼いも今回しか見られませんということで理解していただきました。

 まだ慣れていない鵜を使った鵜飼いでしたが、6月から始めた今シーズンの鵜飼いは9月10日になんとか終えることができました。鵜飼いを見に来てくださった方が乗る遊覧船の乗客数はありがたいことに昨年よりも350人増えて4167人で、ここ10年で2番目の多さになりました。今年は天気にめぐまれたことに加えて、鵜が大量死したことで450年の伝統がある鵜飼いを守ろうとする機運が高まったこともあったかと思います。

 鵜匠や船頭、鵜の供給元など多方面の協力があったことも大きく、感謝してもしきれないほどです。http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/279177/022700043/
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【栃木】手づくり郷土賞にわたらせ未来基金 メンバーが小山市に報告【東京新聞2018年3月19日】

賞状を掲げて受賞を報告する青木さんら=小山市役所で

 ラムサール条約に登録された渡良瀬遊水地で外来種の除去作業や体験学習に取り組む「わたらせ未来基金」(青木章彦・代表世話人)が、良質な地域づくり活動を表彰する国土交通省の「手づくり郷土(ふるさと)賞」の本年度一般部門十六件の一つに選ばれた。
 わたらせ未来基金は一九八六年に発足。渡良瀬遊水地の周辺自治体の住民ら約六十五人で組織し、湿地の保全・再生に取り組む。小山市の遊水地第二調節池周辺では、市と連携して外来種植物の除去作業を定期的に開き、毎回、数百人規模の参加者を集めていることなどが評価された。
 青木さんらメンバーが小山市役所を訪れて受賞を報告。青木さんは「活動に参加してくれた多くの市民や事業所のおかげ。これからも頑張れという賞だと思う」と話した。
 大久保寿夫市長との面談では遊水地に飛来しているコウノトリの「ひかる」の話題が中心に。大久保市長は「みなさんの活動が功を奏した。ひかるの定着に向けてさらに頑張って」と激励した。 (小川直人)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/list/201803/CK2018031902000151.html

http://archive.is/OhTfa
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