2015年09月15日

(人生の贈りもの)わたしの半生 解剖学者・養老孟司:2 77歳【朝日新聞デジタル2015年9月15日】(文鳥)

母、静江さん(中央の着物の女性)が医師として勤めた大塚医院前で、家族と。最前列が養老さん=本人提供
 ■死にゆく父に言えなかった「さよなら」

 ――母の静江さんは94歳まで現役の小児科医でした。90歳を過ぎて書いた自伝によれば、お父様の養老文雄さんとの出会いは劇的です。

 子どものころは母親の人生なんて全く関心がありませんでしたがね。九州に父方の兄弟がいるので、大学生時代に会いにいったんですよ。すると「あなたの両親のラブレターがミカン箱にとってある」というわけ。もちろん見ませんよ、そんなもの。

 ――最初のご主人との間に生まれた2人の子どもを連れて再婚した後、生まれたのが孟司さん。

 小学校の時、先生から家族構成をきかれて答えに困りましたね。姉貴と兄貴がいて、彼らの父親は生きていて、僕の父親は死んでいる。そこまでは分かるけど、細かい事情なんて分からないから。

 ――お父様は養老さんが4歳の時に亡くなってしまいました。

 結核でしたね。今思うとほとんど5歳に近かったんだな。父が亡くなったのが昭和17年11月7日。僕の誕生日は11月11日ですから。

 父親に関する僕の中の記憶は二つしかありません。一つ目は、寝たきりだった父が、ベッドから体を半分起こして文鳥を逃がそうとしている姿。不思議でしょ。可愛がっていた鳥を逃がしちゃうなんて。さらに不思議だったのは「どうして」という僕の問いに答えなかったこと。父の横に母がいたことも覚えていて、両親と自分の3人がそろった記憶はそれだけです。

 後で母に聞いたら、「あれはお父さんが亡くなる朝のことで、珍しく気分がいいというので窓際のベッドに移したんだ」と言うんです。死期を悟っていたんですね。どうりで答えなかったわけです。

 ――もう一つは。

 その夜の記憶。真夜中に起こされて、布団に横たわる父の横に連れて行かれて「お父さんにさよならを言いなさい」と言われるんだけど、僕は何も言えないんです。何も言えない僕に、父がにっこりとほほえんで。次の瞬間、血を吐いて事切れました。

 ――つらい記憶です。

 僕は40歳すぎまであいさつが苦手で、簡単なあいさつもうまく出来なかったんです。

 ある時、地下鉄のホームで「あれだ」と気づいたんですよ。父親に「さよなら」を言えなかったことが、意識の深いところでつながっていたんだってね。そう気づいた瞬間、「いま父親が死んだ」と思いましたね。自分からさよならと言わない限り、父は自分の中で生きている。親の死を、心の中に「未完」のままでおいていたんですね。

 するとこだわっていたことが消えて、あいさつは「ただのあいさつ」に変わりました。精神分析で言う抑圧です。言えなかった「さよなら」が象徴していたものは、「死んじゃ嫌だ」という思いですよ。嫌なことを頑として認めようとしない性質だったんでしょうね。父の死を認めたくないから、「さよなら」と言わなかった状態を継続すること。それが唯一、僕に出来る抵抗だったんでしょう。(聞き手・浜田奈美)=全12回
http://www.asahi.com/articles/DA3S11966141.html

ttps://archive.is/EnF3m

タグ:文鳥
posted by BNJ at 23:27 | Comment(0) | 鳥類コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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