2016年02月03日

なら歳時記 奈良市、田原本町 歴史の里のコウノトリ 自然との共生訴え /奈良【毎日新聞2016年2月3日】

 昨年11月、聖徳太子ゆかりの広大寺池(奈良市池田町)に国の特別天然記念物・コウノトリが飛来した。この美しい野鳥が「弥生時代に人間と共生していた」と提唱したのは同6月に63歳で死去した前奈良文化財研究所(奈文研)埋蔵文化財センター長の松井章さんだ。松井さんをしのびながら広大寺池とコウノトリの骨が出土した弥生の環濠集落、唐古・鍵遺跡(田原本町)を巡った。

 環境考古学が専門の松井さんは、池島・福万寺遺跡(東大阪市、大阪府八尾市)の水田跡で見つかった約100個の鳥の足跡に着目。兵庫県立コウノトリの郷(さと)公園(同県豊岡市)の協力で、弥生時代前期のコウノトリの足跡であると解明し、2011年に奈文研で発表した。

 注目点は足跡が多数の人間の足跡と交じって見つかり、コウノトリと弥生人の良い関係を想像させた点だ。コウノトリは水田のドジョウやフナが大好物で、人間にとってはイナゴなどの害虫を食べる益鳥。松井さんは「弥生人が水田稲作を拡大する中で、日本列島にコウノトリが定着する」共生関係を指摘。さらに弥生時代の銅鐸(どうたく)にコウノトリとみられる鳥が多く刻まれている点も踏まえ、「信仰の対象だった」と提唱した。

 小雨模様の冬の広大寺池を訪れると、運良くコウノトリを観察できた。池は、日本書紀に聖徳太子が造ったと記される「和邇池(わにいけ)」とされ、平安時代に弘法大師が整備したという説もある9ヘクタールの農業用水池だ。「幸せを運ぶ」といわれる鳥がすみつくにふさわしい場所だ。湖畔に住む阿潟浜年明さん(84)は「大勢の見学客も訪れ、地元としても誇らしい思いだ」と喜んでいた。

 ところで弥生時代の遺物には、よく鳥が登場する。代表例が唐古・鍵遺跡出土土器から1992年に確認された「楼閣」の絵だ。二層の建物のうち、下層の屋根に、鳥の飾りが描かれていた。同遺跡からは、矢羽状のかぶり物で鳥の扮装(ふんそう)をしたシャーマン(呪術者)を描いた土器も見つかっており、鳥が神聖なものだったことが伺える。

 池から南へ約8キロにある遺跡を訪れた。幅8メートルの環濠を巡らした直径400メートルの大集落で、土器の絵から高さ12・5メートルの楼閣が復元されている。約30年前に出土したコウノトリの骨は、田原本町立唐古・鍵考古学ミュージアムで見ることができる。学芸員の東藤隆浩さん(32)は「遺跡周辺はコウノトリに適した湿地帯。たくさん飛んでいたのでしょう」と想像する。

 野鳥と人間の関係を研究する考古学者は「コウノトリの里」の豊岡市にもいる。同市立歴史博物館「但馬国府・国分寺館」の元館長、加賀見省一さん(61)は松井説を支持する。奈良大で学んだ加賀見さんは「銅鐸に描かれたコウノトリと本物を見比べ、弥生人が何を願ったかを考えてほしい。人と自然の共生という私たちの願いに通じるものがあるはずだ」と呼びかける。【皆木成実】
http://mainichi.jp/articles/20160203/ddl/k29/040/564000c

ttp://archive.is/KNNlg

タグ:コウノトリ
posted by BNJ at 23:00 | Comment(0) | 野鳥ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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