2016年02月05日

【歴史のささやき】西南学院大名誉教授・高倉洋彰氏 稲作は空から“降って”きた?【産経ニュース2016年2月5日】(鳥類紋様/鳥類美術)

福岡県筑前町の大木遺跡で出土した甕棺(武末純一氏提供)
 昨年11月末の九州考古学会で、福岡県筑前町の大木(おおき)遺跡で出土した92号甕棺(かめかん)に、飛翔(ひしょう)する鳥が刻まれているという、武末純一福岡大学教授らの興味ある発表があった。

 絵は頭をもたげ、脚を伸ばし、翼を広げて飛ぶ鳥の姿で、サギかツルと思われる、とされている。ただ、サギやツルにしては首が短い。果たして本当に絵なのだろうか−。土器の表面の調整痕とする否定論を含めて、いろんな意見がある。

 弥生土器に絵を刻んだ例はあまりない。数少ない例では、鹿や水鳥、建物が主要な画題になっている。水鳥の場合、立った姿で表現され、飛翔する姿はこれまで知られていない。

 ところで、92号甕棺はすでに絵があることで知られていた。

 それは、今回指摘された“鳥の絵”の反対側にある。左から入り口を思わせる鳥居風の門、何かわからない四角形の文様、その右に竪穴住居4棟、少し空けて竪穴住居4棟が線刻されている。四角形の文様の下に、曲線であらわされた図の一部がみえるが、他の例からして立った姿の水鳥であろう。

 これらの線刻とは別に、中央の竪穴住居の下に、大まかに輪郭を線で刻み、内部を黒く着色した四足獣が2頭いる。この表現法は他にはないものだ。

 大木の絵は、鹿・水鳥・建物の弥生絵画の3要素をもっている。野生のはずの鹿が描かれているのは、『播磨国風土記』にある、鹿を捕らえ、その腹を割いて血の中に種子をまき、稲の苗の成長を祈った、という神事を思わせる。

 地霊としての鹿と、穀霊としての水鳥、そして入り口から2群各4棟からなる村の景観を刻むことによって、この村に豊穣(ほうじょう)がもたらされることを祈願した絵のように思われる。

 今回、新たに話題となった部分が絵であるならば、それは従来の絵と何らかの関連があると思われる。

 『日本書紀』巻二に、興味深い話がある。

 いわゆる天孫降臨に際し、天照大神は降臨を命じた天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)に、宝鏡と高天原(たかまがはら)の神聖な稲穂を授けている。

 降臨は結局、天忍穂耳尊の息子である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)によって実践されるが、この時にも宝鏡と稲穂を授けている。稲穂は天からもたらされたというのである。

 これが『倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)』になると、伊勢・志摩地方では、伊雑宮(いざわのみや)に白いマナヅルが稲穂をくわえて飛来し、稲作が始まり、豊作をもたらすようになったという。

 鶴がくわえていた稲穂をうっかり落としたことで稲作がはじまったという伝承である。

 いずれも、稲穂は天からもたらされている。これを穂落とし伝説というが、大林太良(たりょう)氏の研究によれば、羽後(秋田)・羽前(山形)から奄美、琉球(沖縄)にいたるまで、ほぼ全国に分布している。

 大木92号甕棺の新たに知られた部分が飛翔する鶴の絵であれば、反対側の豊穣を祈る絵の前段になる、稲作発祥の穂落としの場面である可能性が生じる。

 そうであれば、穂落とし伝説の最古の事例になる。

                   ◇

【プロフィル】高倉洋彰

 昭和18年福岡県生まれ。49年に九州大大学院終了後、福岡県教育委員会、県立九州歴史資料館を経て、平成2年から西南学院大教授。弥生時代の遺跡や大宰府のほか、アジアの考古学など幅広く研究。「弥生時代社会の研究」、「行動する考古学」など著書多数。九州国立博物館の誘致にも尽力した。26年3月に西南学院大を退職し、現在名誉教授。同年5月に日本考古学協会会長に就任した。観世音寺(福岡県太宰府市)住職も務める。
http://www.sankei.com/region/news/160205/rgn1602050041-n1.html

ttp://archive.is/tF5vE

タグ:鳥類美術
posted by BNJ at 12:08 | Comment(0) | 鳥類一般ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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