2016年06月08日

(チェルノブイリ30年をたどって:3)外観はスマートになっても…【朝日新聞デジタル2016年6月8日】

チェルノブイリ原発4号炉(右)を覆うための「かまぼこ形」の新シェルター=4月2日、杉本康弘撮影

 チェルノブイリ原発では、事故炉を覆う新シェルター建設が進む。近づくと本当に大きい。高さ109メートル、幅257メートル、長さ162メートルもある。

 建設を請け負うノバルカのプロジェクトリーダー、ニコラ・カイエが現場にいた。「除染が大変だった。事故直後にさまざまな汚染物が埋められており、その処理かログイン前の続きら始めた。建設現場は事故炉から350メートル離れているが、放射線を避けるためだ」

 今年11月には新シェルターがレールの上を移動して、高さ72メートルの「石棺」をすっぽり覆う。そうなると、チェルノブイリ原発はスマートな「かまぼこ形」の外観になる。

 石棺は30年前の事故直後、遠隔操作を多用して、半年ほどの突貫工事でつくった。さびや汚れが目立つ外観は、事故の恐怖を見せつける。

 そのチェルノブイリ事故の象徴が隠れる。そもそも事故はどんなものだったのか。

 1986年4月26日午前1時23分、計画停止に向けて出力をしぼっていた4号炉が突然暴走し、爆発。炉心で火災が発生し、放射性物質が飛び散った。炉心は高温になって核燃料がどろどろに溶け、それが大気に直接触れるという想像を絶する事態になった。

 制御棒の設計ミスや、暴走しやすい炉の性質、操作の不手際が重なった。

 高放射線のなか、消防士たちは火災に立ち向かった。約30人が急性放射線障害などで日を置かずに死亡した。

 この惨事を世界は3日間、知らなかった。当時のソ連が黙っていたからだ。放射性物質が風で北欧まで飛び、そこで検知された。ソ連の公式発表は発生からほぼ68時間後の28日午後9時だった。

 周辺住民への情報発信も遅く、少なかった。

 原発から約4キロ離れた町プリピャチでは、事故から1日近くが過ぎた26日夜、住民が丘やアパートの屋上などから、空を真っ赤に焦がす「発電所の火事」を見物していた。翌27日午後、彼らは突然現れた約1200台のバスと3本の列車に乗せられた。「3日分の用意を」といわれたが、以来、町は無人だ。

 「ウクライナ日記」などで有名なウクライナの作家、アンドレイ・クルコフは私のインタビューで「ソ連政府の罪は、5月1日のメーデーまで事故の実態を隠し続けたことだ」といった。メーデーは国民的祝日であり、多くの人が連日、行進やマスゲームを練習していて、被曝(ひばく)した。

 原発から半径30キロ圏内の11万6千人の避難決定は、5月2日だった。

 石棺の建設作業も膨大な被曝者を生んだが、問題だらけだった。「密閉した構造物」と宣伝されていたが、90年の現地取材では「隙間の合計は1千平方メートル」という驚くべき答えが返ってきた。内部は暖かいので、鳥が巣をつくりスイスイ行き来していた。2006年の取材でも、隙間はまだ「100平方メートル」あった。

 新シェルターが完成すれば「100年は大丈夫」とされる。だが内部には、溶けて固まった核燃料の残骸がある。最終的解決は数十年単位の壮大な先送りになる。

 =敬称略

 (竹内敬二)
http://www.asahi.com/articles/DA3S12399765.html

http://archive.is/FsHiI

posted by BNJ at 22:44 | Comment(0) | 海外の鳥ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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