2018年01月03日

明治維新150年 龍馬の胃袋 維新の活力(その1) シャモ鍋 暗殺の夜、食べようとしたのは /高知【毎日新聞2018年1月1日】

 2018年は、明治維新から150年の節目。激動の時代に先人たちは一体、どうやって日々のエネルギーを得て、未来を切り開いてきたのでしょうか。先人たちにゆかりのある食べ物を通して、明治維新について、少しでも親近感を持ってもらえればと思います。まずは土佐を代表する偉人、坂本龍馬にゆかりのあるグルメから。【柴山雄太、岩間理紀】


ごめんシャモ鍋=高知県南国市大そねの居酒屋「べんべん」で、柴山雄太撮影
 龍馬が暗殺された日に食べようとしていたのがシャモ。龍馬の好物として語られることも多いが、県立坂本龍馬記念館(高知市浦戸城山)の前田由紀枝学芸課長はその理由について「龍馬と同じ物を食べてしのびたい人が多いのでは」と話す。

 龍馬が何を好んだかについては、史料はほとんどないという。食事に関する記述は残っていないのが実情だ。食材に関係している、数少ない記述が、文久3(1863)年、姉の乙女に宛てた「日本を今一度せんたくいたし申候事」と書かれた手紙の中にある。「すずめ貝(シジミ)のように」隠れているというくだりで、前田さんは「きっと鏡川のシジミは食べていたと思いますよ」と笑う。


「歴史のロマンを感じながら食べてほしい」と話すごめんシャモ研究会の立花智幸理事長=高知県南国市大そねの居酒屋「べんべん」で、柴山雄太撮影
 「龍馬弁当」にも登場するサバの刺し身については、高知出身の作家、田中貢太郎が作中で「サバの刺し身にダイダイ酢をかけたもの」が好物だとしているが、その記述に関しても一次史料は見つかっていないという。

 龍馬は大柄だったと伝わり、江戸遊学や長崎で外国人と交流したことから、前田さんは「おそらく、何でも好き嫌い無く食べたでしょうね」と推察する。

 その一方、全国を駆け回っていた龍馬は自身の体について、風邪気味や調子が悪いという記述が多いという。前田さんは「シャモ鍋も、寒い京都で体を温めようと思って用意させていたのかもしれませんね」と思いをはせた。

南国の名物に
 龍馬が最後に食べようとしていたシャモを町おこしに活用しようと、取り組む人たちがいる。ごめんシャモ研究会(南国市)の立花智幸理事長。「町の特産品を作りたい」と考えていた時、坂本家のルーツがある南国市の才谷地区では、かつて龍馬の命日にシャモ鍋がふるまわれていたことを知った。

 キジを飼った経験のある市内農家の協力を得て、70羽から始めた。南国市では170種もの野菜が栽培されることから、地元の野菜と共に楽しんでもらおうと、研究会はシャモ鍋のレシピを考案。2010年には埼玉県で開かれた鍋料理の日本一を決めるイベントでグランプリに輝いた。

 ごめんシャモの特徴は、ブロイラーよりも長く、6カ月間平飼いされること。それにより独特の歯ごたえが生み出され、いいダシが出るという。皮も分厚く、通常の鶏肉とは違い、かむとうまみがあふれてくる。

 現在、南国市内では19店の飲食店で「シャモ鍋社中」としてシャモ料理が提供されている。また、研究会では全国に鍋やすき焼きのセットを発送もしている。鍋は「全国龍馬ファンの集い」でも提供され、龍馬ファンから好評を得た。

 シャモは現在、市内2カ所で飼育され、4000羽に。東京でも扱う飲食店が現れ、立花さんは「いずれはカツオかシャモか、という高知の名物にしたい。龍馬さんのように、広く進出していきたいですね。脱藩はせられんけど」と笑い、「全国のみなさんには、ぜひ高知に来て、ロマンを感じながら味わってほしいですね」と話した。
https://mainichi.jp/articles/20180101/ddl/k39/040/192000c

http://archive.is/yfKDI
高知県南国市でシャモ研の処理場稼働 飼育から一貫体制整う【高知新聞2017年8月9日】

タグ:シャモ
posted by BNJ at 10:36 | Comment(0) | 養鶏畜産ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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