2018年08月03日

広島原爆孤児「すずめおじさん」の恩返し 83歳、餌やり「罪滅ぼし」【西日本新聞2018年8月3日】

スズメたちにパンをあげるすずめおじさん=1日午前、広島市中区

 すずめおじさんは毎日のように、原爆ドーム(広島市)にやって来る。自転車かごには6個入り100円のパンが3袋。待ってましたとばかりにスズメが数十羽、集まってくる。「スズメは命の恩人じゃけえ、ひもじい思いはさせたくない。殺して、食べた罪滅ぼしよ」。おじさんは、原爆投下から間もない広島で、スズメを手に取ったあの日を語ってくれた。

 おじさんは83歳。原爆孤児だ。73年前の8月6日、10歳だったおじさんは、己斐中町(現広島市西区)から現在の広島市安佐南区にある母の実家に疎開していた。同町の仕事場にいた父は木材が喉に刺さって亡くなった。花の行商で街に出ていた母の行方は分からないまま。爆心地近くに嫁いだ14歳年上の姉は、地下で子どもを抱きかかえるような姿で見つかった。「子どもだったけえ、親が亡くなった実感もなかったなあ」

 伯父に連れられ、父や母のいない故郷に戻った。みんな、食べる物も、お金もなかった。「スズメを食べにゃどうにもならん」。大人が山に網を仕掛けると、数百羽掛かった。スズメを網からリンゴ箱に入れる手伝いをしたおじさんは「手間賃だ」と5羽もらった。目を閉じたスズメの羽をむしって、頭を取って、小刀で腹を割いて、串に刺して焼いた。初めてスズメを食べた。「食べていくのに懸命でな。今日の僕があるのはスズメのおかげよ」

 終戦後は伯父家族や祖母が面倒を見てくれた。高校卒業後、公務員として働いたり、板前修業をして屋台を出したりした。1度だけ結婚もしたし、人には言えないような世界に足を踏み入れたこともあった。借金を抱え、白内障とも闘った。「あまりにも泥くさい、ふたをしたいような人生」。世の中についていくのが精いっぱいで、生きるためにあらゆることをやった。

 親戚やお世話になった人たちが亡くなり、借金も片付いた頃、70歳になっていた。ある日、姉の墓参りに行くと、スズメがついてきてチュンチュンと鳴いたので餌をあげた。その後、原爆ドーム近くでパンを持って待っているとやはりスズメがやって来た。「恩返しできるのもスズメしかおらんしね」。それ以来、10年以上続く日課になった。

 おじさんの前に横一列にスズメが並び、親子スズメがおじさんの手から直接、パンをついばんでいく。「親から愛情込めて育ててもらった経験がないけえ、うらやましいね」。毎朝、「母の遺骨もあるかも分からないから」と、引き取り手がない約7万人の遺骨が納められた原爆供養塔で手を合わせた後、スズメに会いに行く。人間と付き合うにはお金がかかるけど、スズメだと1日300円で半日以上、穏やかに、有意義に過ごせる。いつしか、おじさんは「すずめおじさん」と呼ばれるようになった。

 原爆ドームには多くの若者も訪れる。「文明の恩恵におごることなく、一汁一菜で生きられるくらいの心の強さを持ってほしい」とおじさんは言った。信頼してくれるスズメと余生を過ごす今が「人生で一番幸せ」とほほ笑んで、小林一茶の句をつぶやいた。

 「我(われ)と来て遊べや親のない雀(すずめ)」
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/438197/

http://archive.is/GgE4l

タグ:給餌 スズメ
posted by BNJ at 09:46 | Comment(0) | 野鳥ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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